農場日誌

ひろういの農に生き音楽を作る日々 Since 7th June 2007

歴史から学ぶ

沖縄に注目!

沖縄県の辺野古への基地移設を認めない知事が誕生したあとも、
そんな民意をあざわらうかのように「粛々と」埋め立て準備を
進めた安倍政権。今は衆院選への悪影響を考えて休止しているとのこと。

着工を許さない人々は非暴力で辺野古キャンプシュワブ前で抗議してきた。
そんな中うちの坊ちゃんカボチャのファンの島袋文子さんが警察に倒されて
救急搬送されたというニュースにショックを受けた。
もちろん大手メディアは伝えない。

また藤本監督が映画を撮影中に警察に手足をつかまれ
排除されたという記事も見つけた。

藤本監督が辺野古の島袋さんの家に連れて行ってくれたことを思い出す。
文子さんは奥の方から足を引きずりながら出て来て笑顔で迎えてくれた。
大好物のコーラを開けてくれた(笑)
自分の読谷村のライブにはハンバーガーを山ほど差し入れしてくれた。

85才、16才の時上陸してきた米軍の火炎放射器に焼かれ半身大やけどを
負って奇跡的に生き延びた方だ。戦後封印してきたつらい戦争の体験を最近になって
人前で話しだしたという。
それはこの国がまたあの時代に逆戻りするような空気を感じてきたからに
ほかならない。

島袋文子さんは沖縄の宝だ。
それを暴力的に排除する。
それが「知事が変わっても粛々と基地建設を進める。」という意味だ。

原発再稼働を公約にする時点でもう終わっているが、
沖縄のことも立派な争点になるべきだと思う。
「税こそ民主主義だ。」と首相は言うが上に書いた出来事こそ
民主主義の根幹に関わることではないか。

今度の選挙、どういう世界に生きたいかを決める大事な選挙です。 

8月6日。。。

DSCN6757

今日は広島に原爆が投下された日。
戦争について考える要素はたくさんある昨今、平和を祈るだけではなく
具体的にそれに対して指一本でもいいから動かしてみるかどうかが自分に
問われているような気がします。

じゃ、何が問うているのか。その問うているものは何なのかはわかりませんが、
戦争という愚かな行為で死んでいったり傷ついた人への申し訳なさなのかもしれません。
なぜ愚かだと言えるのか?それは人間は簡単に間違った情報でも正しい情報だと勘違い
してしまう生き物だからです。(私も振り込め詐欺にあいそうになったことがある・・笑)

ウクライナの問題にしてもイラクでもパレスチナでも日本の大手メディアの伝える報道は
西側とほぼ同じで正しく検証されていない可能性があります。
マレーシア機墜落もロシアが悪者になっているようですが果たしてそうかは
わからないままそう決めつけたがっている印象があります。
日本政府のよく使う「国際社会」ということばもまたくせ者だと私はいつも思っています。
イラク参戦を拒否した国、イスラエルのガザ攻撃を強く抗議する国だってたくさんあり
それだって国際社会ではなかろうかと・・・。

そこに集団的自衛権の話がリンクしてきます。
予想もしなかった大戦にまきこまれる可能性も見えて来ています。

大きなウソほど人はだまされやすいと聞いた事があります。
平和の一歩はまずウソを見破るということではないでしょうか。


8月6日広島の犠牲者に黙祷を捧げたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日弁連憲法問題対策副本部長 伊藤 真さんの有楽町駅前での
訴えを要約したものが8月4日の某新聞に掲載されていました。
閣議決定後の安倍首相の記者会見には2つのウソがあるとしています。

1、「これまでの基本的考えは一切変えない。平和国家としての国の歩みは一切変わりません。」
→しかし政府が「日本に危険がある」と認定すれば自衛隊が海外に行き、何でもできてしまいます。
第2次大戦で日本は「国民の利益を守る。石油が大切だから守る」と自衛の名でアジアに進出して
戦争しました。

2、「国民の命を守る。」
→自衛官の命が危険にさらされます。
さらに国際社会で海外に出向いている日本人がテロの標的になるリスクがいっきに高まります。

(以上抜粋終わり)


 

夢を見たあとで



風が冷たく強かったので小屋の片付けなどしたきのう、それでも夕陽にそまる畑の色は暖かい。

きのうの朝戦争の夢を見た。
ことばの通じない国で自分たち兵士は憎しみに囲まれている。
いつ死ぬのかわからない恐怖。
目が覚めほっとする。

たぶんそれは靴下を掃いたまま変な格好で眠ってしまったせい(笑)
ゆったりとした格好で眠りにつくべきだと反省。

でも集団的自衛権行使容認へ傾く政治の流れは夢ではない。
世界の平和と安定のためだとかペラペラと聞こえのいい理由づけにだまされてはいけない。
なにせ武器を防衛装備品と言い換えておおっぴらに輸出できるようにしてしまった
この国だ。

紛争解決のための武力行使は永遠に放棄することを憲法9条は謳っているのだから、
解釈改憲するにはあまりにも無理がありすぎる。

この国は檻に入った怪物をふたたび外に出すかどうかの瀬戸際にあるのだと思う。
今怪物は片目を開けて様子をうかがっているところだ。

私たちのほうはというと片目どころではなく両目をおっぴろげて見ていなきゃならないと思う。
安易に空気に流されないように。

戦争で死ぬのはいつも誰かの子どもなのだ。
自分の国の人だろうが敵の国の人であろうが。
どの親が自分の子どもが殺されることを望むだろう。

戦争にならない仕組みを壊すのには反対なのだ。
誰がなんと言ったって。

願をかけよう断酒17日目
こちらにも 断原発0日目

きのうの記事の補足として

1954年ロンゲラップ島のその後を追った本が出ていました。
そのときの爆弾の名前が「水爆ブラボー」だと。( ̄□ ̄;)
すさまじいの一言です。図書館にリクエストしようと思いました。

「核の難民」佐々木英基著 NHK出版 (書評)
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/635

速報 名護市長選稲嶺氏当選!

やったー!!



下はIWJの岩上安身さんによる1月11日の糸数慶子参議院議員へのインタビューです。
少し長いのですが辺野古と沖縄の基地の問題が見えて来る貴重なお話です。
沖縄に住んでいない私たちはともするとマスコミから流れる情報をもとに
基地問題をとらえイメージしがちです。
私も知らない事がたくさんありこのインタビューでわかったことが
たくさんありました。
お時間のある方はどうぞ聴いてみて下さい。(できれば全編のほうをおススメ)
糸数議員の想いに胸を打たれるでしょう。
戦争は終わっていないのです。

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/119324

ハスの花のような



どこを見るかによって世界は変わる と思う。

人の野蛮さを見るのか、赦しと愛を見るのか、

僕はやっぱりさいごまで後者を信じていきたい。

その両方が人の内面の真実だったとしても

いつかはこのハスの花のように

泥から水面に躍り出た高邁さが花開くかもしれない。

その「かもしれないこと」に賭けてみよう。

選挙はそのひとつ

はっきりしていること

野蛮な考えの人には入れない




明日こちらの意思「原発いらない」「戦争いらない」を帯広にてストリートライブで
仲間達と伝えに行きます。脱原発1000万人署名活動とともに。
「かもしれないこと」を信じて。
ハスの花のように世界が開くために。

あの候補に思いを託し断酒105日目
花開く世界のために断原発  0日目

ピースとハイライト



以下の歌詞はサザンオールスターズの新曲だそうでちょっとびっくり。
参院選前に聴くとノリノリで行けそうです。
特に「現代史をやる前に時間切れ」の部分に共感。
ここがドイツと日本の戦後教育の大きな違いです。

この国が大きく道を踏み外しつつあることを確かに感じている人の歌詞です。





  ピースとハイライト    サザンオールスターズ

何気なく見たニュースで
お隣の人が怒ってた
今までどんなに対話しても
それぞれの主張はかわらない

教科書は現代史を
やる前に時間切れ
それが一番しりたいのに何でそうなっちゃうの?

希望の苗をうえていこうよ
地上に愛を育てようよ

未来に平和の花咲くまでは-------優鬱(Blue)

絵空事かな?お伽噺かな?
お互いの幸せを願うことなど

歴史を照らし合わせて
助け合えたらいいじゃない
硬い拳を振り上げても
心開かない

都合のいい大義名分(かいしゃく)で争いを仕掛けて
裸の大様が牛耳る世は-----狂気(insane)
20世紀で懲りたはずでしょう?

燻る火種が燃え上がるだけ

色んな事情があるけどさ
知ろうよ お互いのイイところ!!

希望の苗を植えていこうよ
地上に愛を育てようよ

この素晴らしい 地球に生まれ

悲しい過去も 愚かな行為も

時間は 何故に忘れてしまう?

愛することを ためらわないで

願いを込めた詩



沖縄県読谷村(よみたんそん)サバニクラブでのライブ翌朝に見かけた三叉路の電柱。
なぜか心に残って・・・。

読谷村では沖縄戦のあと平らで広い土地は米軍基地に奪われたせいで、
住民達の住む家は谷とか斜面にひしめくように建ち、道は細く曲がりくねり、
いかにも不便な場所へと追いやられた結果だということがわかりました。
上空を爆音でジェット戦闘機が飛んで行きます。

23日沖縄全戦没者追悼式で朗読されたという与那国の小1の詩が
北海道新聞に掲載されていました。
ほんと、風景が目の前に浮かんでくるようです。
そして汚されていない子どものこころはいちばん大事と思われることをちゃんと映しています。

折しも昨日は米軍ヘリパッド建設に反対するやんばる高江の住民を
国が恫喝するために訴えた裁判で住民側の控訴が棄却されてしまいました。
判決はわずか数秒で言い渡されただけだということです。
これはスラップ裁判と呼ばれていて人道的にとても許されるものではありません。
悲しみでいっぱいになりますが、もう一度この詩を読み直して勇気をもらおうと思います。




「へいわってすてきだね」 沖縄県与那国町立久部良小1年 安里有生

へいわってなにかな。
ぼくは、かんがえたよ。
おともだちとなかよし。
かぞくがげんき。
えがおであそび。
ねこがわらう。
おなかがいっぱい。
やぎがのんびりあるいてる。
けんかしてもすぐなかなおり。
ちょうめいそうがたくさんはえ、
よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。
みなとには、フェリーがとまっていて、
うみには、かめやかじきがおよいでる。
やさしいこころがにじになる。
へいわっていいね。へいわってうれしいね。
みんなのこころから、
へいわがうまれるんだね。

せんそうはおそろしい
「ドドーン、ドカーン。」
ばくだんがおちてくるこわいおと。
おなかがすいて、くるしむこども。
かぞくがしんでしまってなくひとたち。
ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。
このへいわが、ずっとつづいてほしい。
みんなのえがおがずっと、つづいてほしい。
へいわなかぞく、
へいわながっこう、
へいわなよなぐにしま、
へいわなおきなわ、
へいわなせかい、

へいわってすてきだね。
これからも、ずっとへいわがつづくように
ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。

富士山よりもの世界遺産



きのうは風が気持ちよくそよぐ中、人参のホー除草に専念しました。
乾燥で心配した発芽もそろい良くほっとしています。

人類の歴史は戦争の歴史だと言われています。
たしかに闘いを繰り返して来たのが人類かもしれません。

でも「人類」などという遠い言い回しはどこか人ごとです。

戦争でむごたらしく死んで行った人達はいつだって
お父さんやお母さんや子どもやお兄ちゃんお姉ちゃん
おとうと、いもうと、おじいちゃんやおばあちゃんなど
誰かのかけがえのない人だったのです。

だからいつだって前提に置くべきは、
「戦争をしないこと」であるべきです。

現行の日本国憲法にはその大切な「前提」が
いちばんのカナメとして盛り込められている。
いわば神髄は「戦争をしないこと」でありそれが
この憲法の最大の特色だと自分は思います。

富士山が世界遺産になったからといって
それがどうしたのでしょう。
首相は「日本の誇り」と言ったそうですが、そんなの当たり前
誰もが好きなあの風景です。あんたに言われたくない。
それより「日本の誇り」はこの日本国憲法に盛り込んだ平和の理念です。
世界遺産ならこちらのほうがなお嬉しかった。
その理念の高さは富士山よりはるかに高いからです。

護憲派の言う「守る」なんてケチなものではなく世界に「広める」そんな気概のある
政府を持ちたいものです。

この憲法を変えて利するのは戦争産業でしょう。
それであなたが誇りを持てるようになれるかといえばそれは大間違いです。

かたつむり そろそろ登れ 断酒の山 80日目
TPP  原発共々 撤退だ        0日目



辺野古のチャーミングなオバァ




デジカメを最近なくしてしまいました。
なので4月に行った沖縄の辺野古の基地建設に反対する住民達の監視テントからの写真をアップしました。

この左手にキャンプシュワブという米軍基地があり、そこに連結するかたちで海を埋め立て
新滑走路を作るという計画を知らされてから住民たちは立ち上がりました。

初めて現地に行って海の水に触れヤドカリと遊び、風に吹かれ、その平和な波の寄せ返しの風景が
戦争というものに翻弄されているのを感じました。

同じくその地で生活している人達もその「戦争産業」(かつての悲惨な戦争の記憶も消えないままに)に
翻弄されているのを感じました。

基地建設に反対する辺野古の住民のひとりチャーミングなオバァ島袋文子さんのご自宅に伺いました。
昨年北海道3カ所で自らの戦争体験を伝える講演をされた時に
新得で宿泊した時に会ったことがあるのです。

島袋さんは「青虫のお兄ちゃん」と私のことを覚えてくれていました。
新得の時は戦争の後遺症による足の手術後だったので車椅子でしたが、
今回ゆっくりと歩いて奥から出て来てくれました。
ショーケースにはお手製の手芸品。
好物のコーラを出してくれました。

島袋さんは80代半ばにさしかかりますがドキッとするほど目がしっかりしていて
とても精神がしっかりしているのが伺えました。

島袋さんのこと。

大戦末期1945年、米軍が上陸してきて沖縄はたいへん悲惨な状況に置かれました。
当時16歳だった文子さんはガマ(壕)に隠れていた時に米軍の火炎放射器で焼かれ
半身に大やけどを負い、出て行ったところを米兵に野戦病院に運ばれ
生死をさまよい奇跡的に一命をとりとめたということです。

16歳の少女が体験するにはあまりもの過酷な記憶はずっと人に語らずに心に秘めてきたのですが、
最近になってこの国がふたたび戦争をできる国になろうとしていると感じ
自分の体験を語っておくべき時と考え話し始めたのだそうです。ごく最近のことです。

戦後は米軍将校のメイドなどをして生活してきました。
「二度と戦争を起こさせたくない、ところが新聞見てると今の安倍首相の言うことが私には恐ろしいのよ。」
そう話してくれました。

でも素敵な笑顔で、本当は読谷村でやる私のライブに来るつもりだったのですが
断念、でも基地でしか買えないというハンバーガーを山ほど差し入れてくれました。

「読谷村は島唄の盛んな場所でねえ、いろんな島唄があるよ。」
本当にそうでした。沖縄は音楽の島です。(それは後ほど書こうと思います。)




おすすめ本2冊



沖縄から帰ってみると農家として当然のこと、タネイモ準備やマルチはがしやハウス作りなど怒濤の日々。
雪解けはすすんだものの今朝は春の雪、木々も畑も一面の白銀の世界です。

さて、沖縄の愛すべき友人たちが日々悩まされている米軍基地のことやTPPのことがいったいどういう
いきさつでそうなってきたのかがよくわかる2冊の本を読破しましたよ。
2冊ともQ&A式でサルでも僕でも読みやすい本でした(笑)

戦後史の正体1945年ー2012 孫崎享 著 創元社刊」は図書館にあり、
日米地位協定入門 前泊博盛 著 創元社刊」は浜松町の書店にて買いました。

以下後者の本の帯から抜粋します。


「原発再稼働・不況下の大増税・オスプレイ強硬配備・TPP参加・憲法改正・・・日本はなぜ、こんな国になってしまったのか?

★ なぜ戦後70年たっても、まだ米軍は日本にいるのか?
★ なぜ米兵が罪を犯しても、ほとんど逮捕されないのか?
★ なぜアメリカではできない危険なオスプレイの訓練が、日本でできるのか?
★ なぜ基地をひとつ動かそうとしただけで、首相が失脚してしまうのか?
★ なぜ原発災害の当事国である日本が、原発をやめられないのか?
★ なぜ経済的利益のないTPPが、強引にすすめられようとしているのか?

答えはすべてここにある。21世紀を生きる、全国民必読の書!」抜粋終わり

サルも僕も驚きました。
TPPは日米地位協定を源流としているとのこと。
さあどうしましょう。
でもまずは知ることから。
今が旬のおススメ本です。

「本当のこと」を伝えない日本の新聞



「本当のこと」を伝えない日本の新聞 双葉新書刊 を最近珍しくいっきに読んだ。

著者はニューヨークタイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏で日本取材歴12年の日本通のアメリカ人。
日本人が好きということが伝わって来る。
だからこそ3.11以降前にも増して顕著になった日本のジャーナリズムの
陥っている異常さに危機感をいだいてこの本を書くに至った。

ひとつの例として東電福島原発事故直後からSPEEDIの存在を知っていた記者たちがいたにもかかわらず、
政府が発表しないことに対して追求しなかったことを挙げる。

実は地震の影響で不具合はあったにせよ、
事故当初から仮のデータを使ってSPEEDIにより試算は行われ放射性物質が飛んで行く方向は予測されていた。

米軍には外務省を通じて3月14日にデータが提供されていたにもかかわらず、日本国民にはそれらが示されなかった。
本来なら新聞社は国からすぐに公表されないことを不審に思い紙面で訴えなければならなかったのではと述べる。

5月2日になって細野豪志首相補佐官が試算結果の未公表について
「国民がパニックになることを懸念した」と政府の本音を口にしたそうだが・・・。
では何のために巨額を投じてSPEEDIを用意したのか?

もしジャーナリズムが国民の側に立っていたならもっと早くからデータを国民に開示させて
無用な被曝をさけることもできたかと思うと、あらためて報道の質と力の重要性を再認識する。

世界でもめずらしい「記者クラブ」という存在も政府からの伝達機関となりやすく、
新聞、テレビ、通信社などの主要メディアの記者たちが所属し海外メディアやフリーランスの記者は
所属できないので政府の記者会見場に入れず独自に取材するのだという。

そのため主要メディアはどこも横並び的な内容になるのだという。
著者は記者クラブとは何かを正確に理解している日本人は少ないのではないかと述べている。

TPPや原発や改憲などのとりわけ重要な問題に登場する世論調査は
きっと横並び的にマスメディアが伝えているのだろうが、あの円グラフによって
この多数意見に弱い日本人の国民性に与える影響を考える時、ついため息が出てしまう。
私は今まで見て来た円グラフのほとんどに「えー?なんでそうなるの」と驚いてきた万年少数派だ。

私自身いまだ良くわからないのに7割もの人がTPPに賛成のアンケート結果だったりするが、
そんなにたくさんの人がTPPについて勉強し理解しているとはとても思えない。
憲法についても然り。

不思議な事は多々あれど、何はともあれ「記者クラブ」この存在は理解しておいたほうがいい。
若い気概にあふれる記者もこの日本独特のシステムによって情熱をそがれることがないように願う。
いや、むしろ報道の公平性を保つためにも記者クラブは解体されるべきだと思う。

ジャーナリズムの重要性、それは先の戦争で開戦のためにあるいは大本営発表で果たしたマスコミ
の役割をみれば明らかなように、
あまりに高い割には意外と私たちは見落としてしまっているのではないか。

そんなことを喚起させてくれた一冊。

変わらなくちゃね、日本も。

まともな感覚

今、教育現場にとても関心がある。
たまたまテレビで見たのは愛知県犬山市の教育への取り組み。

あんな教育長もいたなんて!驚き、そしてうれしくなった。
取材の中の一言で彼のまともさがわかった。
「国家権力が教育に介入してきたらロクなことにならない。」

その教育長は上からくるクダらないどうでもいい書類を
学校にまわさずにだいぶ破り捨てたと言って笑う。(素晴らしい)

東京都のある学校では年間4000枚もの書類を
教師が提出しなければいけないという。(変だろこれって!)

本来の教師の役目である子どもと向き合うということ、
それができる自由があってこそ
仕事への誇りと意欲を持てるんじゃない?

犬山でも先生は残業もあり忙しいが、
空しくなってしまう忙しさとは質が違う。

その様子をビデオで見せられた東京都の教師達は
自分たちとの違いに驚き、うらやましがり、
「転勤したい」と言った。



啓蒙とは何か カント (1784年)

啓蒙の定義

啓蒙とは何か
それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。
未成年の状態とは、
他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないでいるということである。
人間が未成年の状態にあるのは、
理性がないからではなく、
他人の指示を仰がないと
自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。
だから人間は
みずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。

こうして啓蒙の標語があるとすれば
それは「知る勇気をもて」だ。
すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。
                
              永遠平和のために/啓蒙とは何か カント著 中山元訳より

沖縄 3.06



沖縄県糸満市にある平和記念公園の「平和の礎」のそばに立ちてspan>



平和記念公園のこの木は何を見てきたのだろう。



「ひめゆりの塔」そばの千羽鶴の束



宜野湾市の海岸に夕陽を見送る。
沖縄の海は夢のようなきれいな色で何回もため息。
ここは今回千葉でお世話になったミュージシャンでお米も育てる哲ちゃんの故郷でもある。

あちこちに米軍基地はあった。
ただ戦争反対を叫ぶことに意味はない。
平和は日々創っていくもの。それは人が幸福になろうと努力することの中にあると思う。
何が価値なのか自分の頭を使って考えていくこと。
戦争自身がいちばん恐れるのはこのことだと思う。

有名人を見たときのような



もう30年も前の話だが、日本武道館でのボブ・ディランのコンサートに行った。
アメリカのベトナム反戦のシンボルとして有名で、
レコードもよく聴いてコピーしたりしていたが
あこがれの本物を目の前にして、自分が作った幾ばくかの先入観が壊されながらも、
同じ空気でつながっている喜びと、彼もまた同じ人間なのだという安心感を与えてくれた。

きのうの夜、初めて望遠鏡でリングがついた土星を見ることが出来た!
もちろん安物なので、見えるのは
手のひらにのせてみたとして
ちょっとした鼻息ですぐに飛んでいってしまいそうな
小さな光る玉なのだがちゃんとツバがついているのだ。
斜めにかしいだあの有名な星を見た瞬間の
喜びといったら・・・。

本物のボブ・ディランを見たあの時のような感覚だ。
同じ太陽系の兄弟、わたし達はああいうものの親戚なのだ、という驚き。
あるいは、有名スターと同じ地平に立っているというミーハーな喜び。

なんのためだかわからないが、わたし達はとにかく
太陽のまわりを休むことなく廻り続けている。
それを教えてくれたのは先人たちであり、
人間の知りたいという探求心のおかげだ。
なぜに知りたいと思うのか?
知りたいという気持ちは自然に備わっているものであり、
人間が発明したわけではない。
それもこの宇宙が作った物というしかない。
あるいははじめからあったか。
だから、不思議だ。

その不思議さはワクワクするたぐいの不思議さだ。
何か広い大きなものとの一体感は
人を落ち着かせ、退屈させないだろう。
それにくらべ国家との一体感とはなんだろう?
必ずや排除される者を生んでしまう一体感とは。
それを国家が人に強制させるとはどういうことだろう。
人の気持ちに及ぼすベクトルはまるで逆である。
いや、それが好きな人達だっている。
きっと退屈してしまっている人達。
そういう人達にこそ土星を質素な望遠鏡でみてもらいたい。
そして宇宙のこの広がりを感じてもらいたいと思うのだ。

(土星は東の方に見える明るい星です。これからが見頃だそうです。)



旗によせて

テレビや新聞でたまに出る
丸いグラフ
あんなのはなから信じていない。

世論調査の結果として
たとえば憲法を変えるか
現行のままでいいか、
いつもその結果に驚く。
イラク自衛隊派遣の時も
そうである。

自分の自由な時間も持てずに
日々の仕事に追われている多くの人が
どれだけそれに答える上での
情報に接し、また起こるであろうことを
想像できているだろうか?
世界のことなど
考えてる余裕さえもありゃせん!
声が聞こえてきそうである。

それより
そのグラフ自体が
この偽装ばやりの世の中で
本当に正確かどうかこちらには知る由もない。

城山三郎は日本が戦争で得たものは
平和憲法だけだと言っていたそうだ。
ばりばりの護憲派だったそうだ。

僕が城山三郎の詩「旗」にひかれるのは、
個人と集団について考えさせられるから。
僕にとって「旗」は悪く言えば
徒党を組むということのシンボルかもしれない。
個人と
集団の中の個人とは
まるで違って見えることがよくある。
それは当たり前だし合理的なことかもしれない。
人間が社会をつくる動物である以上。
でも、
最大の徒党である国家となると
時として人間はそちらに吸い寄せられ
個性のいらない部品となってしまう。
そうなると人としての尊厳など無用の長物
旗のために一致団結しようとなる。

個人としての役割にめざめ
旗をふりかざすのをやめ、
新しい世界を創ろうとする人と
ゆるやかにつながりあっていきたい、
そう考える個人の力は
以外に大きいのでは?と
最近思っている。



最近よくコンサートの中で歌わせてもらっている故城山三郎さんの「旗」ですが
原詩のままでは音楽に乗りづらいので一部アレンジして歌っています。
そのため原詩をここに掲載しておきます。


      

旗振るな 旗振らすな 旗伏せよ 旗たため

社旗も 校旗も 国々の旗も
国策なる旗も 運動という名の旗も

ひとみなひとり
ひとりには
ひとつの命

走る雲 冴える月 こぼれる星 奏でる虫
みなひとり
ひとつの輝き

花の白さ 杉の青さ
肚の黒さ 愛の軽さ
みなひとり
ひとつの光

狂い 狂え 狂わん 狂わず
みなひとり ひとつの世界
さまざまに 果てなき世界

山ねぼけ 湖しらけ 森かげり 人は老いゆ
生きるには 旗要らず

旗振るな 旗振らすな 旗伏せよ 旗たため
限りある命のために


「支店長の曲り角」城山三郎著より

12.8 9条改憲を許さない!市民のつどい

きのう12月8日は太平洋戦争の開始記念日です。
また、ジョンレノンが射殺された日でもあります。
十勝で心ある人達が市民レベルで毎年この日にあわせて
平和を実現するための講演会と意見交流を企画しています。

この数年私は毎年のように歌わせて貰っています。
たいていのコンサートで一曲は新曲を準備することにしています。
考え続け悩み、いつもギリギリになってひらめき形となるのですが、
そうしないと自分の中で新鮮さを感じながら歌うことができないからです。

きのうは新曲「旗」をウクレレで歌いました。
城山三郎氏の詩をアレンジして音楽化したものです。

城山さま、勝手にあなたの詩の構成を変えたりして申し訳ありません。
でもきっと許してくださるに違いないと思っています。

さて、150人の方が暮れの忙しい中参加されました。
今年の講師はドキュメント映画監督の藤本幸久さんでした。

沖縄の米軍の新滑走路建築予定地である辺野古の着工を
体を張って必死にとめようとしている人達の姿。

北海道矢臼別演習場のすぐそばで酪農を営みつつ反対運動を続ける人の姿etc..。

みんな高齢者が多い。
そして、きのう集まった人も高齢者が多い。
それはまだ戦争の傷を覚えている世代だからということなのでしょうか?

テレビや新聞を見ていても決して見えてこない、
いやインターネットでも見えてこないものが
確かにあると再確認させてもらいました。
映像の力、会場に来ていた戦争体験者の意見、
ものごとを等身大で直接感じることが出来ます。

米軍再編ということばは、つまりは
日本の自衛隊がいつでも米軍といっしょに戦争に
加われる準備を意味するものであることがわかりました。
マスコミが事務次官の業者との癒着やら
消費期限改ざんなどを追っている間に、
着々と日本は戦争のできる国へと変わっていっているようです。
わたしたちは煙にまかれて真実が見えないようにされているか、
あるいは真実をみないようにしているかのどちらかなのだと思います。

人類の歴史は戦争の歴史です。
でもその仕組みというか、そこへ行く流れを
それぞれが一個人として気が付いた時に、
その行き着くであろう結果のバカバカしさに気がついた時にはじめて
その歴史は変えられるのではないでしょうか?

藤本監督はアメリカのイラク戦争帰還兵などに焦点をあてた映画も制作していますが、
近々再度アメリカへ渡り、アメリカの若者が軍隊に入り
それがどうやって人を殺せるようにまでなるのかを取材する予定で、
その映像は来年3月にニュース23で放映されることになっているそうです。

とても有意義なつどいだったと思います。
実行委員の皆さん、ありがとうございました。

同居している義父は戦争で中国へ行っている。
任務は旗護兵と言って軍旗を護衛する役目だったという。
軍旗は天皇と同じ神聖なもので、もし相手に捕まれば
手榴弾でもろともに吹き飛ばされるように教え込まれていた。

たかが布きれ1枚に命をかける、なんと人間はおかしな生き物なのだろう。
戦争でなくても、人はいろんな旗を大事にしたりする。
一体感が気持ちよかったり強さの象徴にしたり。
実際にはただのデザインに過ぎないのに
時には命にまで関わる意味を持たせてしまう。

旗はどんなに立派でも正義でも
そのかたわらに立つ人間はある日
ひるがえった旗にあたり痛い目にあったりする。

どんな旗もいらないと思う。
故城山三郎氏の詩の中にある「生きるには旗いらず」のフレーズに
深く納得するものである。

城山三郎氏について

http://homepage2.nifty.com/kenpou/siroyama.htm



NHK教育テレビ「あの人に会いたい」今回は城山三郎(小説家)さんでした。
「旗」という詩が印象に残りました。ちょい長いので勝手に途中まで抜粋します。

「旗」

旗振るな
旗振らすな
旗伏せよ
旗たため

社旗も 校旗も
国々の旗も
国策なる旗も
運動という名の旗も

ひとみなひとり
ひとりには
ひとつの命

以下略、とても含蓄のある詩だと思います。

さて、今日はキャベツ出荷のあとソバの風選をした。
あと少しというところ。
雨も降ったりして雪はかなり消えた。

「平和の夕べ」



12日の長男、Mちゃんが参加しての人参間引き風景

今は細かい雨が降っていて蒸し暑い連続の日々に区切りを与えてくれている。
34度にもなりそれでも大根の播種、人参間引きも遅れがでていたので休むわけには
いかず、こども2人が帰っても遊びに行くこともなかったのだが、
夜は流星ショーを楽しんだり庭でバーベキューしたりと手近なところで楽しんだ。
長男は友達を連れてきて庭でテントを張ってキャンプ気分。
娘もまた白菜の間引きを手伝ってくれたり、食事を作ってくれたりしながらも
ゆっくりとしばしの休日を楽しんでいった。

きのうは終戦記念日。
帯広のとあるキリスト教会で
「平和の夕べ-敗戦を憶えて」というイベントが行われた。
娘といったのだが、扇風機が何台も風を送る熱気の中30人近くが参加した。
その教会に付属する幼稚園の園長さんの満州で終戦を迎えた体験の講演のあと、
僕も何度も歌で参加している十勝平和を考える市民の会の方の
的確な時局をみすえたコメントもあり、勉強になった。

さいごに私の出番となり、話を交えながら4曲を歌った。
お盆は死者に思いを馳せる時期だが、同時にこれから未来を生きる
こども達にどんな世界を残していけるかを考えるのも大事だ。
憲法は理想論で結構、実現しようとする目安だと思えばいい。
平和の問題は差し迫っているが、同時に人権・環境なども含め
およそ人間の生活に関わることを宗教や立場の違いを越えて
ともに考えていきたいという今回の主催者であるクリスチャンの方々に
深く共感します。
集団ではなく、ひとりひとりが自覚したうえで、ゆるやかにつながって
いけたらいいと思う。

以上のようなことを話したように思う。
微力ではあっても音楽でこのような場に参加できることが、
とても光栄です。
主催された方とお別れする時に笑顔で
これからも楽しいことをやっていきましょうと
声をかけあうことができて、とても心強い思いになりました。

帰宅するとやはり連日の猛暑がこたえたのか
腹の調子も悪く疲れ切ってすぐに寝てしまった。
長く続いた暑さで早くから体調をくずしている友もいる。
この涼しさで元気を取り戻してくれたらいいな。

今日は子供達も帰っていき、雨なので
ゆっくり休もうと思っています。

メモ 8/15大根播種5.4アール9本25cm

美しい詩

美しい詩はほとんど即興的に生まれるものだ。
あれこれあとで整合性を持たせようと手を加えると
とたんに詩から美しさが飛び放ちもはや詩とは呼べない駄文に
成り下がる。
矛盾をはらむからこそ詩は美しさをもつのだ。

日本国憲法の特に前文は美しい詩として読んでいる。
戦争が終わった焼け野原の上に広がる青空から降りてきた詩。
これからまっさらな気持ちで生きていこうとする気持ちがこめられている。

治安維持法により若き頃弾圧された憲法学者の鈴木安蔵の
自由を謳った草案をお手本に、
はるか昔のアメリカ先住民のイロコイ連邦の平和的共存の思想の
影響を受けているアメリカの民主主義をベースにして、
もうこんな戦争はゴメンだという願いが
空に届き霊感となって降りてきた
そんな詩だと思っている。

それに比べJ党が作ってきた新憲法草案はどうだ。
悪文である。こすずるい大人の匂いがする。
もはや詩とはよべないしろものだ。

詩とは本来人を自由にするものだ。
ところがJ案は逆に人を縛ろうとするものだ。

政治のはなしはうんざりである。
なぜなら、政治家はそのほとんどがウソをつくのが商売だからだ。
子供だってそのくらいなんとなくわかるだろう。
あの方々の話す表情を見れば・・・。

ただここで言いたいのは

法律は国民を規制するものだが、
憲法は政治家、国の暴走を規制するためのものなのだということ。
ここははっきりさせたい。
つまり政治家が自分へのタガをはずすために
動いているのが今のこの改憲さわぎなのである。

あの国をマスコミの力を使い仮想敵国として十分に仕立て上げた。
前はソ連であったが。
あの方々の頭の中では、いつでも戦争をやれる国になりたいのである。

以前消費税導入のさわぎの影でリゾート法が目立たず成立して、
あちこちに乱開発がおこり、今飛行機の窓から見下ろせばわかるように
ゴルフ場やスキー場で緑は害虫に食い荒らされたような
痛々しい景色である。
その後のバブル崩壊でうっちゃられたものもたくさんある。

それとどこか似ていると思うのだが
今は国民もあおられて年金のほうにばかり目がいっている。
年金をもらえるまで生きられるかどうかは
だれにもわからないのに
平均寿命というものが頭にあるからなのだろう。
自分の老後のほうが戦争のことより関心があるのだろう。
生まれてまもなく死ぬ命もあれば100歳を越えて死ぬ命もある上での
平均寿命なのだ。
年金がもらえるまで生きていられる保障などどこにもないのである。
そんなことよりこれから生きていく若者や
子どもたちの未来によい道筋を示すのが大人というもの。

いずれまもなく死んでいく大人ではあるが、
まがりなりにも今の憲法で平和の良さを
たまたま運よく味わってきた。
そのことに感謝している。
この美しい詩が国の暴走をおさえてくれていたことに深く感謝する。

自分たちだけその恩恵を受けながら
子供たちにまた戦争の痛みを味わわせるのは
あんまりだと思うのだ。

とりあえず今度の参議院選挙の投票には這ってでも行こう。
この国に生まれ育ちながら国籍が日本ではないからというだけで
選挙権すら与えられていない人たちのためにも。

そしてもう一度、詩のもつ美しさと力を考えよう。

団体行動がにがてです。

僕は団体行動は苦手です。だから戦争もきらいです。
戦争はきらいです。だから団体行動が苦手です。
この両者が自分の中でどちらが先かはわからないのですが、
あまりに美しく統率された集団を見ただけで具合が悪くなります。
これは感性の問題であって、世の中には集団が一糸乱れず整然と動くことに美しさを感じる人もいます。
何に美しさを感じるかは人によって違うものなのです。
でも僕は苦手、たぶん死ぬまで。

きのう、地元の町で「アリの兵隊」というドキュメント映画の上映会があり、旧満州で2年間日本兵として実戦経験をもつ
うちのジイと観てきました。二人はそれぞれ違う関心を持って。

たくさんの人がその映画を観にきていました。
書きたいことはたくさんありますが、要するに中国山西省で日本軍が行った
実際の戦争がどういうものであるかを真摯に伝えている映画でした。
加害者であり被害者でもある80歳の奥村さんという元兵士の
中国を再び訪ねる旅を軸にした映画でした。
政府が認めたがらない真実の証言の数々。そして証拠の文書を探して歩く。
ツエをつきながらも、その目は真実を追究したい思いで若々しく燃えていました。

ドイツなどでは、むしろ積極的にナチスドイツの行ったことを認め、謝罪や国家補償もし、
子供たちにも教育の場でありのままを教えていると聞きます。
それに比べ、日本はというと反省するどころか史実をなかったことにしようとする動きが
最近目立ちます。あったことはあったこと素直に認めてそこから始めればいいんでないの?

従軍慰安婦のことでもあれだけの真実の勇気をふりしぼった証言がありながら、
強制ではなかったとする意見広告をアメリカの新聞に日本の議員や評論家がのせたものだから
アメリカ下院でついに日本政府に公式な謝罪を求めるという決議案がまもなく可決されるそう。(今日の北海道新聞朝刊)
いやーみっともない。このひとことに尽きます。

日本の青空





今日は人参の第3回目の5アール分を播いた。全部で20アールであるが、
どうして5アールずつ4回に分けるかというと、
除草剤を使わないので、全部手作業で草をとるから、いっぺんに播いてしまうと除草が間に合わないからだ。
除草剤はすごい。人参と草とに同時にかけてしばらくすると、草だけが枯れていく。
たぶん市場に出回る人参の99パーセント以上はそうして育てられている。


人参より草のほうが伸びるのが早いので少数派の我々有機農家は、早め早めに除草をする。
ホーで削り、手押し除草機を入れ、最後はしゃがみこみ1本1本ぬいていく。全部で5263mもある。数字にするとスゴイなあ。
それでも得体のしれない魔法の薬を使うよりは気持ちがいいものだ。



トウモロコシのウネの間の除草を小さな耕運機「こまめ」でやる。トウモロコシは現在30cmくらいまで育った。
今年は発芽もよく、今のところ順調だ。
帯広へ種の購入と映画を観にいくためにあと少しを残して終了。

映画は話題になっている「日本の青空」という劇画で、日本国憲法が出来たいきさつを伝えてくれた。
現行憲法は民間の文化人らによって戦後すぐに作られた憲法研究会の提出したものが
お手本にされているそうだ。その草稿を考えた鈴木安蔵を主人公にしたもので、
よくわからなかった敗戦から日本国憲法公布までの流れをとらえられるようになった。
改憲への動きが急に高まっている昨今だが、この映画にもたくさんの人が見に来ていたが
是非、若い世代の人にも見てほしいと思う映画だった。

それにしても人間の息遣いまできこえそうな、小さな部屋で考えられそしてGHQのたいして大きな場所でもないところで少人数で話し合って決まったというのがなにか不思議だ。
その中で政府や他の政党も草案を提出してきたが、民主的だと評価され一番のお手本になったのが
鈴木安蔵という戦前に獄中にいるときから憲法を研究しはじめた学者の案だった。

世界にも例の少ない平和憲法である日本国憲法をたいして話し合いもせずに変えるのはもったいない。
だれがみても本当のことを材料にとことん考えたほうがいいと思う。
そんなことを改めて感じさせてくれた映画だった。

帰りに大したものがまわっていない回転寿司で食事。注文すればいいのだが、板さんも覇気がいまいち。元気が一番だよ。そういえば回らないおすし屋なんて何10年も行ってないなあ。

ハンセン病の話をきく会

帯広の友人から講演会のお知らせをいただきました。
現職の国立ハンセン病療養所長による貴重なお話です。


「ハンセン病の話をきく会2007」

日時 6月30日(土)午後6時30分

会場 とかちプラザ 307研修室
(帯広市西4条南13丁目、TEL0155-22-7890)

演題 「人間回復のかけはし」
―ハンセン病の歴史に学ぶ―

講師 牧野 正直さん
             ・国立療養所邑久光明園 園長
             ・ハンセン病市民学会 共同代表
             ・医学博士

主催 ハンセン病問題を考える会

▼ハンセン病は病原性の低い病気であるのにもかかわらず、人々の心の奥底に植えつけられた誤った理解により偏見・差別が根強く、強制隔離法「らい予防法」が廃止された1996年以後も「自分がかつてハンセン病患者だったとわかり姪の縁談が破談に」「いまになって戸籍から自分だけ外された」「いまも親族のなかでは自分は死んだ事になっている」など偏見・差別が残されています。熊本・黒川温泉で起きた宿泊拒否事件では、ハンセン病問題が「現在の問題」であることが明らかになりました。

▼いまも3000名が暮らす全国13ヶ所の国立ハンセン病療養所は、福祉切捨て政策のもと統廃合の危機が叫ばれています。実際に厚生労働省の研究では「離島・僻地の療養所を都市部に統合」するといった統廃合研究がすすめられています。「いま転所を強いられたら生きていく自信がない」「移る前に死にたい」など入所者のなかでは統廃合への不安が渦巻いています。国は「最後の一人まで在園を保障する」と約束した以上、これを守らせ入所者の不安を取り除くことが急務です。

▼どなたでも参加いただける講演会です。多くのみなさんのご来場をお待ちしています。

子ども連れでも大丈夫です。  お気軽にご参加ください!

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