ライブが終わり石神井公園のそばの友人宅に泊めていただく。
翌朝見れば庭の木蓮はすでに散り、代わってソメイヨシノの老木が花を咲かせ
さわさわと青空にひるがえっていてそのコントラストに心華やかになる。
友達と以前ライブをさせてもらったことのある「ちょっとしたカフェ」
にランチに出かける。
店主の坂口火菜子さんはカナダインデアンのクリー族と交流を続け、
その叡智を虹の戦士という音楽と語りのライブで日本各地に伝えている方だ。
一緒に行った友達はこれから大学の卒業式の着付けの仕事ということで
上石神井駅でお別れ。毎年気にかけてくれてライブの手配をしてくれる恩人だ。
今回はコロナウイルスのこともあるので毎年訪ねる友人たちに会うのを取りやめた。
施設や保育所などが職場なので万一を考えてのことだった。
おかげで昨年4月末から続いている完璧な断酒もまだ生き延びることになった(笑)
どこにも寄らず母のところに向かう。
この時東京は連休のさなかでもあるし自分も含めてゆるい雰囲気に流される。
地下鉄も使うしどこまで危険なのか誰もわかっていない。
母にウイルスを持ち込んではいけないと
家に入るまえに触ったもの全部に持って行った消毒液をスプレーした。
89歳にもなるのに一人暮らしをさせている後ろめたさがあり聞いてみた。
「一人で寂しくない?」すると大して間も置かずに「淋しくないよ」と答える。
未だにお墓の草取りや病院のボランティアや近所の独居老人のための買い物など
続けていて暇な時は自分の菜園の草むしり。
欠点といえば人が良すぎて騙されることもあったということくらい。
母の精神の健康さはとても興味深い。
生き方のヒントになる。
たった2日間の間でもなるほどと思うことがある。
まず朝早く神棚にお茶をあげ何やらブツブツ神様に祈りと感謝を捧げる。
それから味噌汁を作り質素な野菜中心のおかずを作る。
それから裸眼で新聞を一通り読む。
ボランティアで友達になった元看護師が軽自動車で来て
農家のおばさんがくれるというホウレンソウ、菜っ葉、大根、漬けた大量の白菜
人参などをどたくさん置いて行ってくれる。
それがしょっちゅうなのだそうだ。
当然食べきれる量ではないので電話したり近所に歩いていき
取りに来てと伝えに行ったりする。
私の知っているだけで方々から4人が取りに来る。
母は一人で引っ込むことなくオープンなので友達が多い。
時には家族仲の愚痴を聞いてあげたり雑用を引き受けたりして
いるのでみんなから愛されているのを感じる。
私は感謝の気持ちでいっぱいになり母の友達や近所の子供達にも
アコーディオンを弾いて差し上げると、珍しいし生演奏なので喜んでくれる。
時には音色に苦労した時代を思い出し涙する人もいる。
子供はコロナで学校が休校なので始めの1週間は嬉しかったものの
それからはただ退屈だったらしく目を輝かせて聴いてくれた。
母を見て思うのはしっかりした神様への信仰と共同体感覚が心身の健康を
支えているのではということ。
「そんなの断ればいいじゃん」というような安請け合いと思われるものが
あっても人のために尽くすという生き方をずっと続けてきたことは
母にとっては自然なことでそれが生きる喜びになってるようなのであった。
我が肉親ながら本当に興味深い人だ。
その母が一番顔をほころばせていたのは下のひ孫の写真、
3世代隔たって両者元気なのはありがたいことです。
コロナのことはやはり心配です。
一番心配なのは他の病気で医療を受けている人までもが十分な医療を
受けられなくなることです。オリンピックは中止になりましたが、
リーダーシップをとる人はアスリートや中止による経済的なことより
どうやって弱者への健康被害がないようにするかに一層の
心を砕いて欲しいと願っています。