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理解できるように何回でも読み直したい本の一つに
ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」がある。
本というものは同じ本でも読んだ時の年齢やその時の
自分の置かれた状況によって入って来方が全然違ったりする。
それに何度も読み返したい本というのはそう多くはなくて
たいがいその中に自分の血肉にしたい何かがある。
今は理解できなくてもその著者がギリギリの中で思索した言葉は
いつかは行き着けなかった場所へいざなってくれる力を持っている、
そう信じるので愚鈍な頭と眠気に屈服しながらでも読み続けようと思う。


「ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。
すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題ではなくて、
むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。
そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教え
なければならないのである。

哲学的に誇張して言えば、ここではコペルニクス的展開が問題なので
あると云えよう。すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなくて、
われわれ自身が問われた者として体験されるのである。

人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、
詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。
人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、
人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する
責任を担うことに他ならないのである。」


引用先  夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録 ヴィクトール・フランクル著 霜山徳爾訳 みすず書房刊