まあ疲れもする。

自分が不勉強で世の中わからないことだらけだが、
政治のことで今までこういう方向に行ってほしいと思ったことは、
ことごとく反対のほうへ決められるのが常だった。

原発しかり、TPPしかり、戦争に関することもそうだった。
上空に流れ込む寒気が目に見えないように
大きな金の流れが世の中をなぎ倒しながら流れ、政治は
それをくいとめるどころか先導していたりする。

もうそれはどうにもならないので、
ムズカシソウなことは考えないで余生をソバ打ちでもおぼえて
楽しもうというような人にもまたなれない(笑)

となればやはり自分でできることをするしかないではないかと来て、
そういえば不断の努力ということばが日本国憲法にあったなと思い出した。




【日本国憲法第12条】

現行憲法:この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力よつて、これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。



自民党案: この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。
国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。




現行憲法、いい文章だなと思う。
憲法がこんな私にも自由と権利を保障してくれている。
でも、それには同時に義務も発生することもちゃんと謳っている。
心を静めて読めば人生の訓話のようにも聞こえて来る。

次に自民党改憲案を見るとその違いが如実に見えて来る。
どうしてここをこう変えたいのか、ははんなるほどね。
秘密保護法の強行採決のわけもわかってくる。

この改憲案は私に学校時代の嫌いな教師に説教をされた時のことを思い起こさせる。
「まわりに迷惑をかけるな」が最優先の生活指導教師からの。

もう少し比べてみると「保持しなければならない。」のほうが「保持されなければならない。」より能動的に響く。
現行のほうがより自主を促しているように感じる。
DOが強調されるので心地好ささえ感じる。同時に強い責任も。
そこには支配されるより自主的に住み良い社会を作ろうという気概さえ感じられる。

ことばって使い方一つで力学をも微妙に変えていってしまう。
だから怖いし、使い方を誤らないように気をつけなければと思う。
日常会話においても憲法のようなものにおいても。

主権者は国民であるんだから、
だから不断の努力は自分がするしかないよ。
そう現行憲法12条は国民に向かってささやいている。
そうしなければたちまち権力は暴走し自由と権利はあなたの手から離れていってしまうよと
警告しながら。

その指し示す指先の方角を信じて歩いていきたい。
これからもいろいろあるだろうけどあきらめるのは
死んだ後にしよう。

秘密保護法衆院可決で考えたこと。