私は知りませんでした。
反核の父と呼ばれた哲学者森滝市郎(1901〜94年)のことを。
きのうの北海道新聞の異聞風聞「反原爆と反原発ー広島から」の記事に深く感銘を受けました。
今日静かに67年目を迎えます。

以下部分抜粋します。(北海道新聞朝刊 編集委員大西隆雄2012年8月5日より)


爆心地から4キロの造船所で被爆。
「一瞬世界中を包んだように現れたあの青白い閃光を見たとたんに
右眼のまんなかにつきささったガラスの破片で一眼を失明した。」(森滝市郎著 反核30年より)

残った目も激しい痛みで開けられぬまま半年の入院。
闇の中の思索でたどりついたのが、
原爆を頂点とする「力の文明」から「愛の文明」への転換だ。

森滝が人類の根本命題として提示した文明転換はいまだ果たされていない。
原発をなくせば経済がまわらぬ、日本の未来はないという政治家や経済人の
大量生産、大量消費信仰は根深い。

(中略)

父の反核の遺志を継ぐ次女森滝春子さん(「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」共同代表)
広島で開かれた「原発を問う民衆法廷」での開会あいさつ。

「福島の後、広島がどう原子力問題に取り組んできたかが問われる。
核を否定しなければ人間が核に否定される。それが広島の原点です。」

そして対岸に上関原発の建設計画のある祝島で自然農園を営む氏元長一(うじもとちょういち)さんの「法廷」での訴え。

「福島では農民が土地を奪われ
漁民は母なる海で漁もままならない。
食べ物の生産、農水産業と原発の存在はまったく相いれない。
原発に象徴される大規模生産、
エネルギー浪費社会から脱却し、地域に根ざした暮らしに転換する時です。」



最後の氏元さんのことば、農民として深く共感しました。
そして森滝氏のことば「人類は生きねばならぬ」このことばの重みを
深く受け止めて今日を過ごそうと思います。