もう30年も前の話だが、日本武道館でのボブ・ディランのコンサートに行った。
アメリカのベトナム反戦のシンボルとして有名で、
レコードもよく聴いてコピーしたりしていたが
あこがれの本物を目の前にして、自分が作った幾ばくかの先入観が壊されながらも、
同じ空気でつながっている喜びと、彼もまた同じ人間なのだという安心感を与えてくれた。

きのうの夜、初めて望遠鏡でリングがついた土星を見ることが出来た!
もちろん安物なので、見えるのは
手のひらにのせてみたとして
ちょっとした鼻息ですぐに飛んでいってしまいそうな
小さな光る玉なのだがちゃんとツバがついているのだ。
斜めにかしいだあの有名な星を見た瞬間の
喜びといったら・・・。

本物のボブ・ディランを見たあの時のような感覚だ。
同じ太陽系の兄弟、わたし達はああいうものの親戚なのだ、という驚き。
あるいは、有名スターと同じ地平に立っているというミーハーな喜び。

なんのためだかわからないが、わたし達はとにかく
太陽のまわりを休むことなく廻り続けている。
それを教えてくれたのは先人たちであり、
人間の知りたいという探求心のおかげだ。
なぜに知りたいと思うのか?
知りたいという気持ちは自然に備わっているものであり、
人間が発明したわけではない。
それもこの宇宙が作った物というしかない。
あるいははじめからあったか。
だから、不思議だ。

その不思議さはワクワクするたぐいの不思議さだ。
何か広い大きなものとの一体感は
人を落ち着かせ、退屈させないだろう。
それにくらべ国家との一体感とはなんだろう?
必ずや排除される者を生んでしまう一体感とは。
それを国家が人に強制させるとはどういうことだろう。
人の気持ちに及ぼすベクトルはまるで逆である。
いや、それが好きな人達だっている。
きっと退屈してしまっている人達。
そういう人達にこそ土星を質素な望遠鏡でみてもらいたい。
そして宇宙のこの広がりを感じてもらいたいと思うのだ。

(土星は東の方に見える明るい星です。これからが見頃だそうです。)