美しい詩はほとんど即興的に生まれるものだ。
あれこれあとで整合性を持たせようと手を加えると
とたんに詩から美しさが飛び放ちもはや詩とは呼べない駄文に
成り下がる。
矛盾をはらむからこそ詩は美しさをもつのだ。

日本国憲法の特に前文は美しい詩として読んでいる。
戦争が終わった焼け野原の上に広がる青空から降りてきた詩。
これからまっさらな気持ちで生きていこうとする気持ちがこめられている。

治安維持法により若き頃弾圧された憲法学者の鈴木安蔵の
自由を謳った草案をお手本に、
はるか昔のアメリカ先住民のイロコイ連邦の平和的共存の思想の
影響を受けているアメリカの民主主義をベースにして、
もうこんな戦争はゴメンだという願いが
空に届き霊感となって降りてきた
そんな詩だと思っている。

それに比べJ党が作ってきた新憲法草案はどうだ。
悪文である。こすずるい大人の匂いがする。
もはや詩とはよべないしろものだ。

詩とは本来人を自由にするものだ。
ところがJ案は逆に人を縛ろうとするものだ。

政治のはなしはうんざりである。
なぜなら、政治家はそのほとんどがウソをつくのが商売だからだ。
子供だってそのくらいなんとなくわかるだろう。
あの方々の話す表情を見れば・・・。

ただここで言いたいのは

法律は国民を規制するものだが、
憲法は政治家、国の暴走を規制するためのものなのだということ。
ここははっきりさせたい。
つまり政治家が自分へのタガをはずすために
動いているのが今のこの改憲さわぎなのである。

あの国をマスコミの力を使い仮想敵国として十分に仕立て上げた。
前はソ連であったが。
あの方々の頭の中では、いつでも戦争をやれる国になりたいのである。

以前消費税導入のさわぎの影でリゾート法が目立たず成立して、
あちこちに乱開発がおこり、今飛行機の窓から見下ろせばわかるように
ゴルフ場やスキー場で緑は害虫に食い荒らされたような
痛々しい景色である。
その後のバブル崩壊でうっちゃられたものもたくさんある。

それとどこか似ていると思うのだが
今は国民もあおられて年金のほうにばかり目がいっている。
年金をもらえるまで生きられるかどうかは
だれにもわからないのに
平均寿命というものが頭にあるからなのだろう。
自分の老後のほうが戦争のことより関心があるのだろう。
生まれてまもなく死ぬ命もあれば100歳を越えて死ぬ命もある上での
平均寿命なのだ。
年金がもらえるまで生きていられる保障などどこにもないのである。
そんなことよりこれから生きていく若者や
子どもたちの未来によい道筋を示すのが大人というもの。

いずれまもなく死んでいく大人ではあるが、
まがりなりにも今の憲法で平和の良さを
たまたま運よく味わってきた。
そのことに感謝している。
この美しい詩が国の暴走をおさえてくれていたことに深く感謝する。

自分たちだけその恩恵を受けながら
子供たちにまた戦争の痛みを味わわせるのは
あんまりだと思うのだ。

とりあえず今度の参議院選挙の投票には這ってでも行こう。
この国に生まれ育ちながら国籍が日本ではないからというだけで
選挙権すら与えられていない人たちのためにも。

そしてもう一度、詩のもつ美しさと力を考えよう。