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地面に故やなせたかしさんのモザイクタイル画「ヒョロ松くん」を見る青虫ノッポ

3月16日 矢作(やはぎ)地区仮設住宅集会所ライブ

とても庶民的な感じの温泉旅館鈴木旅館をチェックアウトし
奇跡の一本松を見に行く。途中はダンプカーの渋滞が起こるほどで
かさあげされた土の上では重機がひっきりなしに整地を続ける。
ここが市街地だったと思うと途方もなくて声を失うばかり。

ボランティア会議出席のため花巻から来た望月さんと待ち合わせ、
たまたまフットサルのボランティアに来ていたお知り合いの
横浜から来た女性と望月さんの車に乗せてもらい食事をすること
になった。

花巻からいっしょの連合いと5人で高台で営業再開したほたてラーメンの
美味しい店に入る。起こったことの凄さのかたわらで日常は続く。

埋もれてとぎれたままの線路。
遺構として残された建物を見せてもらいながら、
建ったばかりのピカピカの復興公営住宅に連れて行ってもらった。

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復興住宅の敷地に作った住民の自家菜園

望月さんが今力をいれているのは住民と共に自家菜園を作ること。
この時もここに入ったおばちゃんが野菜の世話をしていて、
望月さんが僕たちを紹介してくれた。方言の会話はなぜかほっとする。
でも、ここもやがて道路になってしまうので望月さんはどこかほかの
場所を近くで探したいのだそうだ。

土をいじり植物が育って行く過程を見るのは癒しになる、
望月さんはそれを直感しすぐに知り合いの農家から余った野菜の苗を譲り受け
仮設住宅や被災者の家庭に届けるボランティアをはじめたのだそうだ。

自家菜園にいたおばちゃんのいきいきした表情がすべてを物語っていた。
望月さんが花巻から通い6年間やってきたこと。

そのあと復興住宅の9階屋上に案内してくれる。
そこから一望する陸前高田は絶句だ。

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左に海が見えいかに海抜の低い土地に市街地があったかを知った。
正面に見えた山をひとつ、まるまる崩し砕石し巨大コンベアーシステムで中心地に
運びそれでかさ上げ(最大で12メートル)をはかっているということらしい。
砕石するための巨大な施設も見える。
去年でコンベアーは役目を終え撤去されたということだが実に壮大なプロジェクト
だということが実感できた。

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陸前高田復興まちづくり資料館向かいにGSのセルフと書いた看板がある。
その上部に矢印がありそこまで津波が来たことを示していた。
看板が津波の力に対して垂直にあったため倒されずに残ったらしい。

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望月さんに先導されて矢作地区の一番奥のほうにある仮設住宅の集会場に着く。
谷合いにあるので日照は少なそう。
でもここでも望月さんはここの方とともに菜園を作って来た。
ボランティア会議があるのでとここで望月さんとはお別れ。

区長さんは元校長先生で、北海道からわざわざ来るからあまり人が
いなかったら可哀想だとチラシを作って地域の人にも配ってくれていた(笑)
おかげで20人もの人が集まってくれた。
始まる前から甘酒やずんだ餅や漬け物など手作りのごちそうをいただく。

コンサートは「上を向いて歩こう」と「見上げてごらん夜の星を」など
みんなで歌えるものもはさんで選曲もがらりと変えたのだが、
みんな大きな声で歌ってくれていい表情で楽しんでくれた。
望月さんが言うには震災直後はたくさんボランティアでプロアマ問わず
ミュージシャンが訪れたが6年もたつと少なくなっているので
きっと喜んでもらえるよと、そうであったらこんなうれしいことはない。
中にはすべてを失って心の奥で立ち上がれないでいる人もいたかもしれない。
そんな人にどう響いてくれたのか・・
とはいえ、音楽の力は確かにある。僕も音楽に救われたことが何度もある。

先ほど行って来たピカピカの復興住宅はまるで都会にあっても
おかしくない洗練された感じなのだが、仮設からこちらに移ってきて
自殺してしまう人もあるのだとか。
受け皿としてのハコモノも大事だが、
やはりどこでも大事なのは孤独感におちいらないように外へ出てコミュニケーションを
とれる雰囲気なのだと思う。

望月さんのやっていることの大きさを改めて感じた。
野菜に花に語りかけそこに人が声をかけてくる、
なにげない日常にこそ救いがあるのかもしれない。

「雪っこ」というおいしいお酒や「かもめのたまご」などのお菓子を
お土産にいただきみなさんとお別れ、見えなくなるまで手を振ってくれた。

陸前高田、また来年も来たい。
一路曲がりくねる谷伝いに奥州市水沢をめざし青虫ノッポ号はひた走る。