農場日誌

ひろういの農に生き音楽を作る日々 Since 7th June 2007

April 2019

畑起こし

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2連の16インチプラウで土を反転

前回の反省から堆肥散布機をかなりきれいに掃除して最終的には雨も防げるようにしようと思う。
午後から畑の耕起作業を始めたが堆肥まきの時大型機械で踏んだので畑が硬くなっただろうと
思いきや意外にも柔らかくとてもスムーズに起きた。7反ほどが終了。

平成最後の日も土を愛する気持ちでいられたことに感謝!

堆肥散布終了!

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遠くに日高山脈 フォードトラクターに引かせた機械とフロントバケットのついたインターのトラクター 黒々と見えるのは堆肥をまき終えたところ。ここには10トン車で7台分を下ろしてもらった。

うららかな日、午前中で堆肥散布はついに終了。
帰り道は広い牧草地の脇の広い一本道を堆肥散布機を牽引してゆっくり走る。

雪がかなり上の方まで消えてきたサホロ岳、
カラ松のうっすらとした芽吹きや道端の草の青さ。
さらに霞むような遠くには大雪山が静かに座している。
遠くにあるものはなぜにこんなに神秘的な姿に見えるのだろう。

かと思うと四つ足の動物が高台の淵からずっとこちらの様子を見ている。
これも神秘的といえば神秘的。

この辺りからは日高山脈も見えるし恵まれた場所だなとあらためて思った。
それも大仕事を終えホッとしたからこそ。大変な時は風景など気にも留めないものだから。

堆肥は過去に何度も分けてもらったトムラウシ肉牛牧場からのもので木材チップや麦わらを
牛舎の敷き藁にしたあと堆肥舎に運びエアーを送り攪拌機を使い高温発酵させたものを
乾燥し敷き藁に再利用それを何度か繰り返したものなので色は黒に近いダークブラウンで
サラサラしています。もちろん肥料分もありますが自分の中の目的は微生物とそのすみかを
畑に入れることにあります。目に見えない土の中の生物圏が劇的に変化しそこに活力が生まれる
と考えています。

明日から畑起こしです。連休明けの芋植えを睨んで新たな作業の始まりです。

念願の堆肥散布

トラクターのバケットですくうとモウモウと白い蒸気が巻き上がる。
大小様々なトラブルがありながら自らの手で蘇えらせた機械はWELGERという
ドイツ製の堆肥散布機。今の所問題なく動いているそれはドイツらしくしっかり
作られたものでおそらく作った職人が誇りを持っていたであろうと想像させる。
ギヤの動きで少しずつ堆肥が後ろへずれていき最後部には縦長のグルグル回る
ものが待っていて均一に散らばるようになっている。
すくうトラクターとまくトラクター2台を乗り換えつつ予定の半分の面積が終わった。
どんどん寒くなり堆肥の蒸気はますます白くなっていき、夜ともなれば雪となり
うっすら外は雪化粧。

眠っていた畑を再び目覚めさし微生物の活発な動きを促す堆肥散布、全部で10tダンプ
10台分の山が少しずつ小さくなっていく。

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そして翌朝、外は淡雪に覆われて一面真っ白。春にはよくあることです。

半農半歌手ではなく全農全歌手

22日のYaeさんとヨッシーとkenと私とで作り上げたライブは
とても良くて今でもYaeさんの歌が仕事の、例えば堆肥散布機のボルトを
締めている時に頭の中で鳴り響く。

ほっぺの赤い可愛い娘さんを連れてやってきたYaeさんは前日まで東京の代々木公園で
開かれたアースデイ東京の総合司会と出演をしてきて、そのポジティブなエネルギーが
さめぬままそのまま十勝に運んでくれたのだった。

半農半Xという生き方のシンボルのような彼女だが、私は全農全歌手で行きますという
名言を置いていってくれた。農に携わっていることをウリにしているのではなく、
農から得られるエッセンスを歌に込めているのだ。

大事な歌うべきことが土や自然や農的な暮らしににあるという直感なのだと思う。
Yaeさんと2011年から何度か一緒にライブをしてきてますますパワーアップしているのを感じる。
何事も始めるより維持し続けることの方が難しい。
お父さんの鴨川自然王国を継いでイノシシやタヌキから野菜や米を守るため奮闘中。
狩猟免許や罠師の資格を取ったりユンボの免許を取ったりと必要に迫られての闘いがあるけれど
逆にそうした生活が歌を生命力にあふれてさせている。
全農全歌手、その方がよりしっくりくる。
半農半Xは静的だけど全農全歌手は動的だ。
ますます元気なYaeさんいつかこのバンドで全道ツアーをなんて声も出ています。

さて、こちらの老いた全農全歌手は今日も1日堆肥散布機の下に潜り込み床板を止める作業。
あとちょっとでこいつを外に出して堆肥を畑に散らばすのだ。
不安は交換していないタイヤがバーストしないかどうか。あとは大丈夫なハズだが・・・
全力で撒きます。

Yaeさんライブに向けての準備着々と

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2年前の5月帯広ランチョ・エルパソにてYaeライブ 今回場所は違いますが同じメンバーでサポートします。

2日前に帯広で5時間に及ぶリハーサルは今月に入って2回目、サロン齋藤亭という素敵な古民家を
借りて。今日も明日の会場である広小路にあるギャラリー光影にセッティングを兼ねたリハーサルに
行く予定だ。

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青虫ノッポツアーでYaeさん宅の次にライブをさせてもらった中島デコさんのブラウンズフィールドにて

堆肥散布に向かって

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うちにある1台の堆肥散布機について今年は大いに迷った。
経年劣化で特にタイヤは一つがバーストもう一つもヒビだらけ、
さらに床の板がボソボソに腐っている。
諦めれば鉄くずでどこかの業者が持って行ってくれるだろう。
諦めなければそれなりの大きな出費になる。
一旦諦めかけた後修理する方向で行こうと決心した。
堆肥散布はうちの有機農業の基礎というべきもの。
しかも恩人のトムラウシの故山下さんから頂いたものだ。
簡単に雑品なぞに出来ない。
今日はタイヤが新品に履き替えたものを取り付けた。
昨日と今日でサビを落とし赤いペンキを塗った。
問題は床貼りだ。4mの材は木材待ちでオリジナルは実はぎだがそれは至難の技なので
平置きにするので反るのをどう防ぐかだ。

ここまで来た以上なんとか蘇らせたい。
完成に向けての一つ一つが今年の農業にエネルギーをポンプアップしているような
気になっている。良い作物が出来ますように。

春作業をしながら

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その昔、農業を始めた頃はこの両側の畑を借りていてこの近くに6年住んだ。

朝からお天気が良く畑も乾いているのでマルチ剥がしに精を出してほぼ1日で終了。
林の陰はごく少しの畑の隅にはまだ雪がありマルチをあとちょっと残して。
すごい土を浴びるので顔は真っ黒、田吾作という感じになった。
道端にはおびただしい数の福寿草が列をなしていて陽を浴びて金色がかった黄色が並ぶ。

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ウーフホスト登録証、今年15年目

ウーフホストは毎年更新してそのたびに丸いシールが増えた真新しい登録証が
ウーフジャパンから送られてくる。
今年はついに15年目になった。人数は数えたくない。いつも一人一人と向き合って
きたつもりなので一人一人として思い出す。素敵な若者たちと心通わせられたことは
本当に良かったと思う。有機の畑はその場として最高の設定だったような気がする。

淡雪ずんずん

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犬のジーコと猫のエム一緒に成長しています ともにもうすぐ1才に

春は2進1退というところ。
昨日で生活用農業用含め5棟のハウスにビニールをかけ終わり
そして今日は雪。足にまとわりつくような淡雪だ。
この冬は極端に雪が少なかったため凍結深度は深くまだ畑には入れない。
堆肥散布の準備でようやく雪が消えたマニュアスプレッダーのタイヤを見てびっくり。
タイヤが劣化してバーストしていた。重たく太いそれを友達から借りた工具でなんとか外し
整備工場にとりあえずは持って行った。あの古いドイツ製にあうタイヤは果たして見つかるか?
春先はいろんな不具合の見つかる季節である。
機械にしても建物にしてもおそろしく古いものもあるので毎年何か修理しているなあと振り返る。
7cmほど積もったのでハウスの屋根全部夕方に雪を下ろす。

Yeaさん、中島デコさんが帯広に来ます!

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2年ぶりの再会となるYaeさんとデコさんが4月22日に帯広にやってきます。
YaeさんのバックはピアノのKen、ギターとベースのヨッシー、アコーディオンとマンドリンの私で
務めさせてもらいます。どんな素敵な歌とトークが飛び出すかとても楽しみ!

Yeaさん HP http://www.yaenet.com/live.html
中島デコさんのブラウンズフィールドHPhttp://brownsfield-jp.com/about/

春のライブツアー

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午前中は晴れていたのに夕方は雪が積もりました 春の雪です

3月21日 カフェ水曜日ライブ

昨年のライブツアーでは後半風邪をひいてしまい歌えないという事態を引き起こしたので
今回は無理はできないと声をかけていただいた石神井のカフェ水曜日一つだけにしました。
ギターを背負いアコーディオンを転がしてという混雑する東京にはあるまじきスタイルは
大変でしたが石神井公園駅で降りればあとは焦らず公園の中の小道を行きました。

夜7時くらいに到着すると営業日で近所の画家の女性や若い時に水俣の支援で甘夏を
売っていたという常連のお客が食事を終えたばかりでした。
着いたのはライブの前日で2泊させてもらいました。

翌日、庭にはマグノーリアの白い花がまさに満開でした。
コンサートはおかげで盛況でした。
石神井界隈のもうすっかり馴染みになって野菜のお客さんになっている人や昔からの友達。
ライブの中では旧友のシゲホニャラカがエッジの効いたブルースハープを(ますますすごい)、
昨年一緒にそばを刈ったりしたウイーンのカヤとはギターと歌でチェコの曲「プロメニー」で
アコーディオンと共演。日本語で彼女が訳したものを見ると男が女の人に片思いしてその女性が
動物や魚に変身して逃げるという神話チックな詩の世界です。
そして初めてお会いするよしだよしこさんと共演もしているみほこんさんがバイオリンで加わってくれました。よしこさんの「道ばたでおぼえた唄」をアコとバイオリンで演奏したり、私の歌に即興でバイオリンをつけてくれて次に来る感じや強弱まで読み取ってくれてすごいと思いました。
盛りだくさんでした。主催してくれた翻訳家の村山さんが喜んでくれたので何よりでした。

そして出来かけの新曲を披露できたのが一番の収穫でした。
価値についての歌で最近会った人とそれぞれの悩んでいることを語り合って
ヒントをもらい石神井公園のベンチで直前までかかって曲にしたものです。
曲はいつも何がしかの出会いや偶然に出来たりするのでそのまま自然に出来上がるように
心がけます。

ライブ終了後はそのまま打ち上げになりプロのバイオリニストを目指す小学生ユイちゃんが
バイオリンのコンツエルト、とても長い曲を弾いてくれました。
ユイちゃんは古い友人の久美さんの娘さんでバイオリンの先生がいる京都に母子で4月に
引っ越します。もともと久美さんが私の最初のライブを石神井で企画してくれたことが
今に繋がっています。

翌日石神井の富士街道ぞいの角にあるパンとカフェのハーベストでランチにしました。
ハーベストの店主石井さんは同い年ということもあり気さくな笑顔で迎えてくれます。
うちの小粒芋を毎年とってくれて食材にしてくれます。
最初にライブをさせてもらったのがここでした。
大きな2面のガラスの角に座って道行く人の流れを見ながらコーヒーを飲むとなんとも
落ち着いた気分になります。芋がもう直ぐ終わるのでと再注文してくれました。

1年ぶりの再会と気持ち良く滞在させてもらい満足して次の目的地に向かいました。
バスで吉祥寺に向かい石神井公園でアコーディオンをひとしきり弾いてから
中央線で秋葉原そしてつくばエクスプレスで守谷駅へ。

3月22日 那須へ

今回は純粋に友達夫婦と1年に1回のリラックスタイムを楽しむ為で、那須に別荘を持つ
別の友達夫婦の元へ遊びに行きました。去年一昨年は那須にはコンサートツアーでヨッシーと行きました。
両夫婦共同い年でずっと芳賀宇井農場の頃からの野菜の顧客でお世話になっています。
もともと5年前にそこでアコーディオンをもらってしまったことで新しい世界を広げてくれた
感謝すべき場所です。昨年印刷会社を定年退職した友達は統合失調症の方の社会復帰のための
施設というまるっきり違う職場で大変ながら新鮮な気持ちで働いていたり、保育所のパートで
働いていたり、同じく定年退職して生協の物流センターで働いていたり、都内の空調技術者として
長年働いていたり今なお活躍している人たちです。現場で働くことでしかわからない話が聞けて色々教えてもらうことが多々ありました。

2泊3日の青春時代に戻る特別な時間、同い年だからわかりあえる共感しあえることがある。
また来年も元気で会えますように。

そのあとは実家の母の家に寄り家の周りのことを片付けてから北海道に帰りました。
このように長々と書いておきたいことを書き終えてようやく新しい気持ちで農業に向かえる
気がします。

ベトナム 再びサイゴンへ 2

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喧騒のブイヴィエン通り

ダラットから長距離バスでホーチミンに着いたのはまだ暗い午前3時台でした。
予約してあったホテルを探し歩くとこんな時間なのに爆音の音楽が通りの左右から
響く通りに来ました。その音楽は店によって違うのでその爆音さと自由さにびっくり。
寝ぼけていたのが一気に覚めました。それがヴイビエン通りでホテルはそこから僅かに
細い路地を入ったところにありました。まだ閉まっているので公園で夜明けを待つこと
に。

公園では露店をしまう人やベンチで寝ている人がいて私はまたアコーディオンを
弾いていました。公園の陰でさっと小用をたす女性や人格を持っていそうなドブネズミ
やがてウオーキングする中高年が徐々に増えてきました。
よく見ると公園につきもののエクササイズマシーンで真剣に運動する人も。
そのうちどこかからまた爆音の音楽が聞こえてきたのでアコーディオンをやめました。
明るくなってきてその音源に向かっていくとそこにあったのは
スーツケース型のスピーカーで10人くらいの女性がリズムに合わせてエクササイズして
いました。連れもそれに加わり同化して踊り出しました(笑)
見渡せばバドミントンをする中高年、朝ヨガの若い女性もいて運動大国なのだと実感。
健康に大きな関心があるのですね、とてもいいことだと思います。
朝から元気なホーチミンの人たち。

ホテルに荷物を預けてからずいぶん歩き回りました。
市内の隅々には本当に狭いバイクと人しか通らない路地が縦横無尽に伸びています。
どんなところにも小商いのお店があり、家の居間にお腹を出して寝転がるのがそばに
あったりオープンな暮らしがあるのに感動します。これが昔ながらのサイゴンの庶民の
暮らしとそれほど違わない姿なのかと思いました。
表通りには爆音が鳴り響いていても住民の暮らしは変わらずにあることにホッとしました。

ベトナムには様々な細分化した仕事が息づいています。
例えばかご一つに靴修理と磨きの道具を全て備え生業にする人、ゴミを集めて売る人、
サングラスを並べたパネルを肩に売り歩く人、ココナツジュースだけを売る人、路上で
バイク修理する人やくじを売る人、みんなたくましく日々を生きています。
ブイヴィエン通りにも火を噴くおばさんやスルメをあぶって焼く人やアイスクリーム売り
などどこに行っても小さな商いがあって通りを活気付けていました。
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火を吹くおばさん、火を吹く子供もいた

そしてたくさんの飲食店などを切り盛りしている人がほとんど若い人たちばかりだったこと、
だからあの爆音も新しい感覚を持った若者たちだから成り立っているのでしょう。
概して日本よりもエネルギーがあるのを感じます。
ベトナムには交通のことでも無秩序の秩序があってそれは驚きでした。
あれほどのバイクの数でも事故は見かけませんでした。最初は慣れない道路の横断も
慣れれば自分の歩くスピードを予測してバイクは避けてくれるので感心します。
誰もいなければ歩道までバイクが走るしめちゃくちゃなのですがその中にも秩序があるのです。
交差点はロータリーが多いのですが不思議なほどスムーズに流れます。

日本は規則が多すぎるあまりいろいろなところで窮屈になっている感じがします。
日本であれほどクラクションを鳴らしたら逆ギレされて煽り運転されるでしょうが
ベトナムではこれから通るからね、みたいな感覚。
今ではあの喧騒が懐かしいです。
先日井の頭公園でアコーディオンを弾いていたら係員がやってきて「ここはあなた達が
くるようなところではないからすぐしまって」と言われてしまいました。
そんなルールは知らなかったわけですが、なんだか息苦しい国だなと余計感じてしまいました。

ここまでベトナム旅行のことを書いてようやく一区切り。
今後の自分の人生にどう今回のことが影響していくか楽しみでもあります。
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ベトナム 再びサイゴンへ 1

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ホーチミン市 戦争証跡博物館にて

ベトナム戦争時代の実際に使われた戦車やヘリコプターや銃器など歩き展示物を見るにつれ
戦争というもののおぞましさと人がここまで残酷になることに暗澹たる気持ちになり当時の
人々の絶望と悲しみに涙が出ます。人を傷つけ殺すための道具の鉄の重さ冷たさを思います。
鉄自体には何の罪もないのに人の頭脳から現れるとなぜこんなに冷酷なものに変わるのかと
底知れぬ恐ろしさです。近くにある統一会堂も見て激動のベトナムの歴史を少しだけ知る事
ができました。

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ホーチミン市博物館にて ベトナム戦争終結のシンボルになった戦車に民衆が歓喜している絵

昨日新元号の令和が発表されましたが首相の談話にこの言葉の説明として人々が美しく心を寄せ合うなどとありました。この方は美しいという言葉がお好きなようです。
しかしすぐに浮かぶのは沖縄の民意を無視してはばからない基地建設のこと、令という漢字に
違う意味を連想した人も多かったのではないでしょうか。
とはいえ歴史を直視し人間の本性を理解しようという努力がない限り戦争は
なくならないと思います。十分すぎる証拠を過去の悲惨な出来事から得ているはずの私たちは
死んでいったたくさんの人たちから戦争を起こさない道を託されています。

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ホーチミン市博物館からの眺め 手前の古い建物とその向こうの近代的ビル群

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路上の包丁研ぎ業のおじさん、バイクの後ろに備えたグラインダー






ベトナム ダラット編 石段で演奏

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ダラットでの2箇所目の格安ホテル近くの階段にて

私たちだけの旅になってから夜に多くの屋台が現れるマーケットの広場を見下ろす石段に
アコーディオンを持って行き弾いていました。
全部で2週間弱のベトナム滞在中は人と会うたびにアコーディオンを毎日のように
演奏しましたが私たちだけの旅になってからは自分で気の向いたところで演奏しました。
公園で暇を持て余しているお年寄りの前、物売りの人の前、客待ちのバイクタクシー運転手の前
そしてホテル群とダラット中心部のナイトマーケットを結ぶ石段で。
音楽は国境と人の垣根をやすやすと越える優れたツールです。
しかもアコーディオンはどこか郷愁をくすぐる響きがあるのでギターより幅広い年齢層に
受け入れてもらえるのを実感します。
時に悪路を転がしたり重くて運ぶのに苦労しましたが持って行った甲斐は十分にありました。

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階段を降りた先にはナイトマーケット、人、人、人。

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こんなところでも

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ダラットの小学校、子供達の歓声と雑踏の賑やかさが混じり合う。先生がたのアオザイ姿が美しかった。

ベトナム ダラット編 ハイさんに感謝

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ダラットのハイさんフェンさんご夫婦からいただいたベトナムと日本の友好の証です

ニャチャンでスーが予約を取ってくれた長距離バスでダラットに向かいました。
フランス植民地時代に標高1500mある温暖な地域だったため避暑地として開発されたと言います。
バスは初めからリクライニングされたようなシートが2段で3列、多少動きますが自分のは
壊れていて寝る姿勢になるので外の風景が大変見づらい。
ニャチャンは南国の植物が多かったのがバスが進むにつれ一変し松林が多くなります。
バスには運転手と乗務員がいてずっと話もするし途中ドライブインで30分近くトイレ休憩
もあるので、一人で無言で何時間も運転し続ける日本のバスよりも安全な気がします。
クラクションはあらゆるドライバーが鳴らすのでそれも眠気覚しになります。

ダラットでは一旦ホーチミンで別れた大町さんと再会、安くて快適な宿を取ってくれて
いました。小さなピザ屋の3階の広い部屋でした。大町さんは連れをマミーと呼んで慕って
くれていて3人でそこを拠点に色々食べ歩きました。彼女は食のレポーターでもあるので
事前にめぼしいお店をチェックしてくれていました。雰囲気のいいカフェ、手巻きの春巻き屋、
フォー屋などどれも観光客より地元の人に人気のお店でハズレはありませんでした。

ダラットでの大町さんの目的は以前国際交流で北海道に来た党青年部のハイさんと再会する
ことで私たちもご一緒させてもらったわけです。
ダラット中心部のホテルで待ち合わせ自家用車で色々見せてくれました。
片言の英語や翻訳アプリで会話しましたが穏やかな優しい人でした。

ダラットはハウス栽培の花やイチゴや野菜の一大産地です。
ハイさんはまず観光客の見学をさせるハウス栽培の農園に連れて行ってくれました。
ハウスは斜面に段々畑のようにいくつも連なり中はひとつながりになっています。
水耕栽培のレタス、ミニトマトや花など旺盛な生育を見せ幼児の遠足のような団体もいます。

次に向かったのはコーヒー農園で初めてコーヒーの産地というものを見ました。
白い無数の花が咲いていて見事な眺めでした。広く見下ろせる大きなオープンスペースの
あるカフェで時々そよぐ風に安らぎました。ベトナムのコーヒーはどこで飲んでもハズレは
ありませんでした。

途中ハイさんたちが環境保全のために植樹をした場所に寄りました。
北海道に研修に来て学んだことをベトナムでちゃんと生かしていてさすがです。
ダラットを愛していていかに美しく景観を保つかに思いを寄せています。
そのあとも、郊外の湖を見せてくれたり実際の畑の灌漑の仕組みを見せてくれたりして
一旦ホテルまで送ってくれました。

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ダラットのハウス群の夜景

暗くなってハイさんは奥さんのフェンさんを伴い私たちを食事に招待してくれました。
ベトナムの鍋料理店で自分で好きな食材を選んで入れていきました。
ハイさんは食べることより北海道での思い出の写真をスマホで探して私たちに見せるのに
一生懸命でした。最後に感謝の気持ちを込めてアコーディオンを演奏しました。

街に帰っていくと思ったら車はどんどん山の方へ。
何かと思ったらダラットのハウス群が良く見える場所に連れて行ってくれたのでした。
私たちは歓声をあげる「オームの群れみたい!」と大町さん。

終始優しい笑顔のハイさん、たくさんの身にあまるおもてなしをありがとうございました。
ダラット市街に帰ってくるとダラット湖に映るカラフルな街の光がまた幻想的。
街のシンボルはバラの花、古いものと新しいものの混在するダラットはバラのように多重でした。
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ダラット湖の夜景
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