農場日誌

ひろういの農に生き音楽を作る日々 Since 7th June 2007

May 2015

ねこ、ポンタからウーに変わる

海外で自衛隊にもっと武器を持たせればリスクが減るという詭弁。
そんなことを信じる国民はどれだけいるのだろうか?

相変わらず筋肉痛になりながら農作業は順調です。
きのうは2回目のトウキビを蒔き終わりカボチャの2回目のマルチ終了。
シカ除けの電牧もまわしました。

義父はいまだ入院中で肺炎がなかなか治りません。
以下は義父の愛した猫のお話。

留守中唯一義父にだけ気を許していた白いネコのポン太が主を失い
一度外に出たきり帰らなくなった。

時々森の入り口に見たけれどもうエサも食べないし死んだのかと思っていたら
きのうも家の近くで涼んでいた。

家族も森の中で見ていてあれは神様かもしれないというようになった。
その森は「うーの森」と名付けてあったがなぜ「うー」かというと
子供の頃見た「ウルトラQ」に出て来た怪獣「ウー」が好きだったからだ。
ほかにその森の中で歌手のUAさんが歌ってくれたからというのもあるが、
ウーはそういえば白いフサフサの毛に覆われていて猫のポン太にそっくりだった
ことに気がついた。

そうか!ポンタはGの癒しという仕事を終えて今この森の守り神になったんだ。
ポン太が「うー」に変わった瞬間であった。
決して可愛くないにらむような顔、やっぱり「うー」だ。
だが義父はまだ死んだ訳ではない。
また元のポンタに戻って二人再会を喜び合う日がくるといいのだが・・。

風に翻弄される

今日は強風に翻弄された日であった。
トウキビのマルチフィルムがはがされる。
あきらめてそのまま土をのせていくと今度はなんでもなかった
マルチまで浮き上がりはためき始める。
カボチャの畑でも同じことの繰り返し、これでもかと
スコップで土をかけ押さえて行った。

防風林はどんどん邪魔者扱いされ切られてきたが、
こんな日は有り難さが特にわかるもの。
木は体をはって人の暮らしを守ってくれている。
ゴウゴウと音をたてて、ユサユサと折れるかと思われるほどしなりながら。

夕方風はやみ、かわりに霜注意報が出た。
去年は23日に降霜しているのでおかしくはない。
ダイナミックな自然のうつろいを感じる毎日です。

農作業は順調

農作業は順調に進んでいます。
トウキビやカボチャのまきつけも始まっています。
にわか雨などに翻弄されつつも若草色に染まる景色に感動しています。
十勝の春は宝物です!

しっぽがくるりと輪をかいた

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あっ!コジローっ スイセンにおしっこかけるなー!

最近は鬱々とした気分を抱えながら春作業をしていました。
いろんなやるべきことがいっきに迫ってきたことや
義父の入院そして老犬コジローのかゆがって体をかきむしる
のが止まらないことなどがあります。
口に腫瘍のようなものができているし・・。

自分の体の疲れもあいまって老、老、老と心の中は音楽記号でいえばデクレッシェンドに
染まっていたのです。
庭の桜の花びらが散るのをながめては切ないなあなどと。

獣医さんに2度往診してもらいました。
少しだけかく回数が減りました。
そして夕方うれしいことがひとつありました。
近頃いつもしょぼんとうなだれていたシッポが持ち上がり
くるんと輪になりこちらに走りよってきてくれました。

そのシッポの息を吹き返したような動きが夕陽に照らされて心の中が明るくなりました。
撫でてあげると今度は連れの手入れしたきれいな水仙に向かって行ったのです。

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新得山は桜が満開で

DSCN6527


高台の畑起こしはほぼ終了午後から軽トラに2台分の家庭ゴミを処理場へ。
1700円は高いが心が少しだけ軽くなった。

新得山の満開の桜を横目に義父の病院へ。
以前は病気して入院しても間もなく帰って来てゾンビなどと
陰口をたたいた私たちだが最近は「おとうさま」と呼んでいる。

こんな小さな町なのに入院させてもらえるクリニックがあるのは
本当にありがたい。若いお医者さんと数人の看護士で切り盛りしていて
その苦労はいかほどかと思う。

「おとうさま」はさすがに今回は弱っていて力なくベッドの上にいる。
元気な頃から今日まで徐々にできることが減衰していくのを目撃してきた身としては
決して逆戻りしない冷徹な生命の法則を納得させながらくるだけの余裕はあった。

それでもどこかでずっと元気で生きていてくれることを望んでしまう。
97才は十分な年なのだが同じ時期を共に生きた仲間でもあるからだ。
出来る限り朗らかに生活をしていこうという暗黙の了解もあった。
実際ほとんどの時間朗らかだった。

生まれた者はいつか死ぬという原則は揺らぐ事はない。
衰えて行くということもまた。
その事態は自分たちにも来ることを先に行く人は見せてくれる。
切ないけれど受け止めることがより良く生きることにつながるのなら
それは最後の大きな贈り物なのかもしれない。

「おとうさま」には毎日会いに行こうと思う。
猫が現れた話などをみやげにするとしんどい中でもふと笑顔を見せてくれる。
それが楽しみなのだ。
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