農場日誌

ひろういの農に生き音楽を作る日々 Since 7th June 2007

April 2014

牧草地をわたって



花もこんなに首を長くして雪解けを待っていたのですね。
最近あれ?プラスチックごみかと思って近づくと花だったりして
うれしくなります。(笑)

となりのおじいちゃんが牧草地を通ってうちのGに会いに来てくれました。
杖をついて休み休み来たのです。
うちのGはやはり足が痛くてもう外を歩くことはできません。
半年ぶりの再会。二人とも嬉しそう。
何やら話しながら五目並べをしばらくしていました。
台湾などを歩くと道ばたでよくお年寄りが数人で将棋に興じている
姿を見ましたが、こちらではなかなかそうもいきません。
遊びに来てくれることの何とありがたいことか。
ふたりを見ているとなんだかほのぼのします。

昨日は音楽ユニット「青虫ノッポ」の初リハ。
今日は堆肥置き場を作りハウス建てを着手。

1人のウーフのホストとして



昨年秋の大雪で折れた太い枝がまだ森の中に。冬に備えて薪作り。

きのうの朝、ウーフのオフィスからメールで連絡があった。
以下の報告が韓国の女性ウーファーからあり、
このままだと日本でウーフすることが怖くなって
そのまま帰国してしまうことになりかねないので
何かメッセージを送れる方はお願いしますということだった。

『私はとても当惑しています。
あるホストさんにWWOOFの申し込みをかけたところ
このような返事をいただきました。

「ごめんなさい。日本を悪くおっしゃる方々の国に対して
お引き受けすることができません。
日本が悪い!!とあんなに反日行動を激しく行うみなさまに
ご同意ができませんので、あしからずご了承くださいませ。」

このような扱いを受けたことは初めてであり、
今は、日本で滞在するのが怖くなってしまいました。』


私は何をさておいてもと目にしてすぐこの韓国の方に英語でメッセージを送った。
どんなに傷ついたろうと思ったからだ。
そして多くの日本中のホストからもメッセージが送られオフィスでまとめて
そのウーファーに昨日のうちに
まとめて送ることが出来たということだった。

人の感じ方を変えることはできない。
この好きとか嫌いとかいう心の問題はなおさらやっかいだと思う。
でも、国とはなんなのだ?
その1人の人間は国なのか?
この文体をしばらく俯瞰するようにながめてみようと思った。
なぜなら今の世相の無視出来ない勢力としてこのような文体が目立ち始めているから。

ウーフも今年で10年目。
たくさんの若者、さまざまな国からやってくるのだが
いつも個人のハートとしてつながっているのを感じている。
国などいらないと言っているのではない。

ただ、その前にひとりの人があるだけなのだ。
畑で働き、歌をうたい、食事をかこみ、笑い合える
そんな素晴らしい能力を持った人間どうしだと確信。
痛みだってわかりあうこともできる。
その可能性を自ら閉ざしてしまうなんてもったいない。

さあ、深呼吸!
本当に気持ち良い世界をめざして鼻をクンクンさせよう!

イギリスからの便り



こちらを向いているのがサミュエル。フェンスは鹿よけかな?

我が家に2回にわたってウーフに来てくれたサミュエルからメールが届いた。
2回目となるおととしは秋に2ヶ月いてくれて大助かりだった。
南部のブライトンという美しい海辺の町の近くの有機農場で働きだし、
自分のための畑でビーツや玉ねぎや大根をまいたところだと便りにあった。
今週はポカポカと暖かく農作業も快適に進んでいる模様。
はるかなイギリスでもこうして土や自然とともに生きて行こうとしている
若者がいるのは本当にうれしくなる。
音楽に国境がないようにオーガニックな生き方にも国境はない。
同じ母なる地球の上だ。

ブルーベルの花が(ってどんな花だろう)森の木々の下をじゅうたんのように
うめつくして今とても美しいのだそうだ。

やがては自分の農場を持ちたいというサミュエル。
そうしたら今度は私たちがウーファーになって手伝いに行こうと思っている。

梁に頭をぶつけては忘れる


先月羽田空港に向かう機内より、たぶんあれが事故継続中の東電原発

人は忘れっぽい。
それは自分を観察して思った。
作業小屋の2階は、といってもはしごで登る屋根裏は
以前は干し草を置く場所だった。
中央付近は立っても十分空間に余裕があるのだが、
1m20cmほどの梁がある部分が4カ所もあってそこが鬼門なのである。
掃除に入ってからきのうで何回頭をぶつけたことか。
2日前は月と火星が並びきれいだったが、あんなものじゃない
細かい星が無数に目の前に現れるのだ、痛さで。

一度ぶつけると今度は慎重になってもう絶対ぶつけるものかと
決意するのだが、
うずくまるような痛みもやがて去り普通に動き出すなら
またもやガツンとぶつかってしまうのだ。

ああ、何と忘れっぽいのだろうか。
決意などすぐに時間の空気に押し戻され消えて行くのだ。

人は忘れっぽい。
忘れるということがあるから前向きに生きて行くこともできるのだが、
過ちを起こさないためには人はモニュメントや碑を作ったりもする。
風化されないものを常に仰がなければ容易に忘れてしまうのだ。
今の日本国憲法の9条も、あれはモニュメントだと思う。
そして原発事故はいまだ進行中で現在も家に帰れない人がたくさんいる。
その健康への影響は未知数で誰も正確に言う事が出来ない。
日々の雑事に埋もれ、やがてそのことに考えも及ばなくなった時があぶない。
だから折りにふれ、関連のドキュメント映画や講演に出掛けたりすることが
いかに大切なことかと思う。
社会的動物である人に必要なのは痛みを忘れないための不断の努力なのではないだろうか。

「人は忘れっぽい。」
頭を梁にぶつけるたびに思うのである。

さあ今日も大掃除いざ屋根裏へ!

今日も楽しく断酒25日目
今日も忘れず断原発0日目

ジェフ・ベック 札幌公演



きのう札幌ニトリ文化ホールにJeff Beckのライブを観に行って来た。
完成された職人ワザを堪能してきた。
天体観測用に買った双眼鏡からひたすら手元を見続けていた。
すごい!神は細部に宿るとよくいわれるが繊細で微妙な音も
ダイナミックな音も現れてから消えるまで「生きている」のだった。
「本メロ」から「裏メロ」から音がこちらに差し込んで来る。
的確な場所にそれぞれの音は配置されていて。
波打ち歌うトレモロアーム、ボリュームによる感情表現、微細なボトルネックのさえずり、
荒々しいリズムカットも無駄な音はない、計算し尽くされたクールさ!
ミュージシャンというよりギターの職人と呼んでみたいジェフベック。
何の職人でも極めた人は多くを語らずともすごい。
高校の時レコードアルバムの「ベックボガード&アピス」や「ブロウバイブロウ」で衝撃を受けたのだが、
本物を見るのはそれから40年後のきのうのことだった。

自分のコンサートで子ども向けなどでは「となりのトトロ」のフレーズを入れた
ジェフズブギーを良くやってきた。
子どもはアップテンポの曲が好きなので自然に踊りだしてくれるのだ。
なんちゃってジェフズブギーだが自由なアドリブで遊べるのでよくセッションに使わせてもらっている。
ベタなブルース進行のセッションより好きなのだ。

すぐにボブディランも札幌に来るが、評判もいいが、オールスタンディングで無理だし(笑)
30年以上前に見たからいいとして、Jeff Beckは死ぬ前に一度は見ておきたいアーティストだった。
自分が生きている間にという意味でもあるが彼が死ぬ前にというのもあった。

ところが69才になるというジェフは全然年をとった感じがしない。
今でもかっこ良くてあと20年は現役でいけるような気がする。
そうなれば古いファンはいなくなり若年層に新たなファンが生まれるような気がする。
いつまでもギターという無限のおもちゃを面白くてしかたないという顔で遊んでいてほしいと思う。

そういえばビートルズの「A day in the life」のカバーも素晴らしかった。
あらためて楽曲の素晴らしさを感じたし先に逝ったジョンレノンへの鎮魂のようにも聞こえた。
・・というよりジョンレノンが喜んでいるような気がした。

音楽は時空を超えた魂のトランポリンだ。










終活ではないけれど

重労働も多い農業を長年してきたのであちこち体のパーツの劣化を感じる。
いまのうちに家はもちろん小屋もきちんと片付けておかないと動けなくなったら困る。

雨とみぞれの今日アンタッチャブルだった小屋の2階に着手した。

タイムカプセルのように、いや地層のようにさまざまな年代のものが出て来る。
そこは干し草置き場として元の農家が使っていたのでベースに干し草やトウモ
ロコシがある。
そこに埋もれるように昭和の新聞、農家雑誌、
その上に私たちがやって来て拾って来た家電(これはいつか使うだろうと思い
とっておいたが使われず何年も)。
友達が引っ越しで1時預かりしたままの図書類。
ベラルーシの子がおみやげに持参したヘアリキッドや我が子のおもちゃ。
蜂の巣が落ちていたり蛇のぬけがらもありギョッとする。

途方に暮れつつもエイヤッと勇気を出してことごとくを窓の下へ落として行く。

ほうきで掃けばモウモウとホコリが舞うがそのあとには
気持ちのいい空間が生まれた。

そうだ着手しさえすればあとは自動的に進むのだ。
それに夢中になってやっている間ヒザの痛みのことは忘れてる。

でも、なんで着手するのはこんなにいつも難しいのだろう。

春なのです



ついに来たー!福寿草の春がー!!
それではここで1曲「福寿草の勝利」をリクエストにおこたえしてドーン!!(自分でリクエスト)

農作業メモ:ゴミ捨て、じゃがいも浴光催芽開始



明渠(めいきょ)の雪解け水は力強く。 その向こうに青と白の日高山脈。

夢を見たあとで



風が冷たく強かったので小屋の片付けなどしたきのう、それでも夕陽にそまる畑の色は暖かい。

きのうの朝戦争の夢を見た。
ことばの通じない国で自分たち兵士は憎しみに囲まれている。
いつ死ぬのかわからない恐怖。
目が覚めほっとする。

たぶんそれは靴下を掃いたまま変な格好で眠ってしまったせい(笑)
ゆったりとした格好で眠りにつくべきだと反省。

でも集団的自衛権行使容認へ傾く政治の流れは夢ではない。
世界の平和と安定のためだとかペラペラと聞こえのいい理由づけにだまされてはいけない。
なにせ武器を防衛装備品と言い換えておおっぴらに輸出できるようにしてしまった
この国だ。

紛争解決のための武力行使は永遠に放棄することを憲法9条は謳っているのだから、
解釈改憲するにはあまりにも無理がありすぎる。

この国は檻に入った怪物をふたたび外に出すかどうかの瀬戸際にあるのだと思う。
今怪物は片目を開けて様子をうかがっているところだ。

私たちのほうはというと片目どころではなく両目をおっぴろげて見ていなきゃならないと思う。
安易に空気に流されないように。

戦争で死ぬのはいつも誰かの子どもなのだ。
自分の国の人だろうが敵の国の人であろうが。
どの親が自分の子どもが殺されることを望むだろう。

戦争にならない仕組みを壊すのには反対なのだ。
誰がなんと言ったって。

願をかけよう断酒17日目
こちらにも 断原発0日目

「せかたべ」大盛況!!

「世界が食べられなくなる日」上映会2日目に行って来ました。
受付をほんの少しお手伝いしながらお客さんが次から次に来て
その中に若い人も多く見受けられうれしくなりました。
2日あわせて約500名がこの映画を見ました。
この十勝でそれだけ集まったというのはスゴいことです。
終わってからも30名近くが残りそれぞれが自己紹介したり
映画で感じた事やこれから食の安全のためにどうしたらいいかなど話しあい、
大いに盛り上がりました。
スタッフの皆さんそして主催者の方々お疲れさまでした!!


「せかたべ」を観にレッツゴー!

「世界が食べられなくなる日」とかちプラザ レインボーホールにて
いよいよ明日から上映です!
新得では手持ち分からすでに10枚は買ってもらっています。
どんな世界に私たちは住んでいるのか?
どんな未来を創っていけばいいのか?
上映後のフリートークタイムも楽しみです!

帯広上映会詳細
https://pinvents.com/event/1537883419769516/

母の生き方



デイサービスの迎えを待つひととき。
実家の父は86才これが相当母を苦しめる。
シモの世話、ひっきりなしの車椅子の散歩への要求。
やれゴミ箱をまっすぐ直せだのカーテンをしめろだの口うるさい。
感謝のことばはなく早くしろと怒鳴ることもしばしば。
人が電話している時もテレビは爆音。

週3日の父のデイサービス。
平安が戻るが母は休むどころか
近くの病院の花壇の手入れや
バスで来る患者を車椅子で迎え
診察室に連れて行くというボランティアに行ってしまう。

それだけではない。
朝3時半に起きて神様にお水をあげ何やら祈った後、
4時には真っ暗な中を自転車に乗って
週3回はお寺のお墓のそうじや
魚屋の食堂のゴミ出しに行ってきて6時頃帰ってくるのだ。
また母をたよりにする一人暮らしの家に雑事をしに
行ったりもする。

信じられないことばかりだが、
母にとって外でボランティアしたり困った人を助けることが
このどうしようもない我がままな父の介護の息抜きになっているのだ。

母も83才にもなるからいつどうなるやらわからない。
申し込んである父の施設は2年待ちだという。
せめて少しでも楽になるよう冬の間は毎月行って介護環境を整えに行くことにしている。
今年は床をフローリングにして車椅子を押し易くしたり大掃除をしたり
家の廻りも動きやすくした。

こんな戦争のような毎日でも母はあっけらかんとして
快活に動き回る。
心配はするがくよくよしない。
毎日日記を付け新聞にも目を通す。
孫達にも尊敬されおばあちゃんはますます神がかってきたと言われるほど。
こんなに凄い人だとは若い頃には気づかなかった。

母は与えることだけを考えている。
過酷だが不幸でないことだけは確かだ。




まばゆい春



狩勝峠からの眺望。 あちこちで雪の退縮いさぎよし

96才のGといつもの漢方の医院へ。
ここに通ってくる中では最高齢だ。
この冬は足の痛みでだいぶ歩くのが困難になり
日中は椅子に座っていることが多くなっていたが、
今日お医者さんから「どんどん歩いてください。」と励まされ
帰りの車中で「明日から歩いてみようかな」と意欲的。
安楽にしたら弱る一方なのでその気になってくれてほっとする。
人が努力する姿はいくつになっても、いや高齢になればなるほどカッコいいと思う。
だめになる自分を振り切って生きて行く、それもいさぎよさ。

まばゆい春。

いさぎよく断酒11日目
いさぎよく断原発0日目







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