農場日誌

ひろういの農に生き音楽を作る日々 Since 7th June 2007

April 2012

みどり色の鯉のぼり



もうすぐ「こどもの日」です。

こどもの日とは・・・
祝日法2条によれば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことが趣旨である。(wikipediaより)

そしてその「こどもを大事に思う」趣旨に実にふさわしく象徴的であることに
この5月5日北海道泊原子力発電所の稼働停止をもって全国の原発が止まることになります。
その日が子どもの日なのは単なる偶然なのでしょうか?
いいえ、私はこれは子どもの健康を考えて原発を止めた方が良いという天からのメッセージだと考えます。

脱原発の新しいシンボルとなる緑の鯉のぼり(加藤登紀子さん発案)を我が家でも製作中。
5月5日は全国でみどり色した鯉のぼりが自由の風を吸い込んで五月の空を気持ち良さそうに泳ぐことでしょう。
子どもらの未来に幸多かれ そのためにも原発はいりません

遅い雪解け



雪解けが2週間遅れています。
この畑は一昨年から有機的管理をはじめ昨年燕麦をまいて休ませていた畑です。
それまでは長年牧草の採草地でした。
今年はいよいよ野菜の作付け開始です!

ブラそしてミラノ



この日の朝セレーニョ駅でアレとお母さんとお別れをし、
一旦ミラノセントラル駅まで行き荷物を預けトリノ経由でブラに向かった。
スローフード国際本部を訪ねることができてクリスティーナさんという女性と少しだけ話が出来た。
ブラの街はスローフード運動発祥の地で有名になったという。
有名なボッコンディビーノというワインレストランで食事をしてまずは目的達成。

行き帰りの列車の窓から見える風景はミラノ〜トリノ〜ブラと大体似ていて、
遠くにアルプスがあり広い畑を大型トラクターが耕していたりして北海道によく似ている。
ただ、アルプスが近いからか川の水量は豊富でだからこそ良質な小麦が穫れるのかもしれない。
イタリアの穀倉地帯という感じがした。



ミラノ駅に帰って来るとエリサが迎えに来てくれていた。
2年前の秋に夫君のダニエルと二人で我が家にウーフで滞在して以来の再会だ。

彼らの広いアパートはミラノセントラル駅から歩いて行ける近さでここで2泊させてもらう。
ダニエルは自宅でするコンピューターの仕事、ユーモアがあり北海道でもミラノでも何回笑わせてもらったことか。
その晩はみんなでトルティーヤを焼いてダニエルの用意してくれたメキシコ料理で「久しぶり!」「チンチーン」
エリサもダニエルもビガン(動物質のものを一切とらない人)だが朝食もまた美味しかった。

そんな彼らが滞在中も連れ合いはひるむことなくビガンの食べ物を作り続け、うちの養子になりたいとまで
二人に言わしめた。肉はもちろん魚や卵や牛乳さえ使えない制約の中でみんなを満足させたのは凄い。
ところで彼らは納豆大好き、こんにゃくがだめ。あのスライミーさがいやなんだと言う(笑)

エリサがどこ行きたい?と聞くのでスーパーに行くのと、ドゥオーモのてっぺんからミラノを見てみたいと要望。
みんなで歩いて行きました。
スーパーはエッセルンガという新得の地元スーパーの100倍種類をそろえたようなところ、
オーガニック野菜コーナーもあり
チーズやサラミ、パスタなどの種類の多さはさすがイタリア。
システムが違っていてバーコードの機械を客が持って自分で各品を入力して最後にレジで払うというもの。
エリサがいなければさっぱりわからなかったところ。
(・・・普通に買うこともできるのかもしれないが)



ドゥオーモ近くにスターホテルがあり何やら警察も出て青いバスを群衆が取り囲んでいる。
世界の強豪サッカーチームのバルセロナのバスでこれから選手がバスに乗り込むところだという。
この日の夜地元のACミラン対バルセロナの試合があるんだそうな。

ドゥオーモのてっぺんからはるか彼方に巨大な建造物を見つけて何か聞くとあれが今夜のスタジアムだという。
下の広場ではファンが集まり大勢で応援歌を歌っていて熱狂が伝わって来た。

さて、その晩はコンピューターの会社社長をしているエリサのお父さんがレストランでみんなで会食をとお誘いいただいた。
お母さんはオランダ生まれの優しい人、お父さんはジェノバ出身で渋いダンディ。
その彼らの家がその夜試合のあるスタジアムのすぐそばにあるという。
点が入るとどよめきが直接聞こえてそれからテレビで遅れて聞こえるんだそう。

ミラノ育ちのエリサなのでトラムにもすいすい乗ることができたし都会の良さも堪能させてもらい
最後の最後まで恵まれたイタリア旅行でした。ダニエルもありがとう!

自分の備忘録としても書いておきたかったこのシリーズでしたが、一応書き終えました。
長文でどうでも良い内容にも関わらず最後まで読んで下さって有り難うございました。

ベルガモへ



朝、アレのおじいさん ENNIOがアレと私たちを駅まで送ってくれた。
80歳、元気で赤い小型のフィアットを運転する。
娘の通訳によれば、仕事はずっとフィアットの工場で働いて来た。
昔はみんな食べ物はビオ(オーガニック)だった。自分たちで小麦も刈った。
それが当たり前。
戦後の物と食べ物の乏しい時代を知っている世代だ。
フィアットの半世紀の歴史も知っている。
話好きで止まらなくなり奥さんのリリアナに「さあ、もう行くわよ」
と促される(笑)
おじいちゃんとおばあちゃんはアレの近所に住んでいる。

セレーニョからの私たちの行き先はベルガモ、アレの通う大学がある。
アレが私たちにベルガモの街を案内してくれる。
ベルガモ駅からバスで5分ほどの丘の上にある旧市街に向かう。
今まで見たイタリアの街の中では一番きれいだと思った。
中世そのままのような街のど真ん中の古い石造りの建物、それがアレの大学だったとは驚いた。
こんなきれいな場所で勉強してるなんて!
学生達も、だからか自由で明るい雰囲気。
アレが学内にいた友達を紹介してくれてみんなで街の広場に行き、
噴水の前でお店で買ったパンやピザを広げてちょっとしたピクニック気分で食べる。
男子も女子も爽やかな人たちだった。

帰りはアレと4人でバスを使わず歩いて旧市街から新市街を通り駅まで帰る。
石畳のすきまにカラフルな紙吹雪がたくさん落ちているので何かと聞くと、
カーニバルがあったとのこと、ああ、いつかそんなのも見てみたいものだ。

今自分の部屋の壁にかかっている唯一
自分のために買ったイタリアみやげはアコーディオンを持った小さな天使で、
内部に美しい絵のたくさん描かれているコッレオーニ礼拝堂で売られていたもの。
珍しくモノにビビッと来たので自分の音楽の神様として購入。


コッレオーニ礼拝堂

それを見るたびに新緑の暖かかったベルガモを思い出す。
新得の我が畑はいまだ雪の下、冬かい?(笑)
今日は雪解けが進んだが、まだ当分畑には入れないので屋根のペンキ塗りをした。
ごまかしながらでも少しはきれいに暮らしたい。
さあ、北海道にも新緑の季節がやってくる!




コモ湖畔 レッコ



3年ぶりに再会したアレッサンドラのお宅に2泊させていただいた。
最初の夜アレのお母さんが車でコモ湖畔のレッコという小さな街へ連れて行ってくれた。

スイス国境にも近くいわばアルプスのふもと。
ライトアップされた古い美しい塔や広場、イタリア統一の父ガリバルディの像がある。

そしてここレッコはA・マンゾーニというイタリアでは有名な19世紀の作家の書いた「いいなづけ」という小説の
舞台となったゆかりの場所のようで、物語の中に登場するという小さなボートなどが飾られていた。
円い幌の骨のついた手漕ぎの、どこから見ても美しいカーブを描く木製のボート。

その物語はイタリアの子供たちは学校で教えられ誰もが知っている有名な話だという。
A・マンゾーニもまたイタリア統一に尽力した人のようだ。
このコモ湖は貴族の別荘もたくさんあるといい、またムッソリーニが銃殺されたのもコモ湖畔だと聞く。
イタリアでは至る所に古い物が大切に残されているだけに歴史が現在としっかり連結しているのを感じる。
今度もう少しイタリアのことを知るためにも「いいなづけ」を読んでみよう。

お母さんはサバサバしたスラッとしたきれいな人でまだ20歳だったアレにウーフを勧めたのも彼女だった。
会社員だが庭でニワトリを飼って卵を自給しガーデニングも楽しんでいる。
2日目の夜には手料理のパーティを用意してくれてそれが今までイタリアで食べた中でも一番美味しい料理だった。
家庭料理、やっぱりこれが一番のごちそうであると思う。感謝!


ミラノからセレーニョへ イタリア追想記



パレルモ空港からミラノ・リナーテ空港に到着、いい色合い。



バスで空港からミラノセントラル駅へ。
通過駅でも主要な駅は全線引き込まれて来るので幅が広く大きい。
鉄道ファンでなくても素敵な色合いの列車に思わず見入ってしまう。

イタリアの鉄道で少しややこしいのがチケットについて。
大きな駅なら自動券売機で買えるが小さい駅だとバール(コーヒーショップ)でしか買えなかったりした。
そして乗る前に黄色い刻印機で刻印を必ずしなければならない。
忘れるとあとで回って来る車掌に罰金をとられるという。
このミラノ駅でもあちこちに刻印機はあるがいくつも壊れていたりする。
時間のない人は慌て、あちこち走り回らせられるハメになる。



チケットを買ったら娘が時刻を写メしておく。
こうしておけば慌てず行動できる。
イタリアでは列車の遅れは当たり前だそうがたまたま自分たちの乗った列車に大きな遅れはなかった。
そして普通列車しか使わなかったのでゆったりと座れた。
ミラノP・Gで乗り換え3年前うちでウーフをしたアレッサンドラの住むミラノ郊外のセレーニョへ向かう。

ふたたび のうのうのう!



毎回のことですが、飛行機から日本の姿を見ると何とも悲しくなります。
関東に近づくほどに増えるゴルフ場、わずか4kmほど先に同じようなゴルフ場が見えて来ます。
その先にもその先にも・・ちょっとした山になら大抵見えます。
この模様は木をぼろぼろにする虫食い跡にそっくりです。

どこかが儲かるとウチもウチもとなるのでしょう。
それは原発も同じでその結果がこの地震国に54もの原発を作らせてしまった。
この儲け話に今乗らなきゃだめだと。
もし原発54基を空から見て回るツアーがあったらどんなでしょう?
まず国土の狭さに驚き私たち全員が風下住民だということが感覚的にわかるでしょう。



川のそばに立っていた原発と思われるもの、フランス上空にて。

先月末千葉県の実家に寄ったのですが、
防災放送で「タケノコとキノコに基準値を上回る放射線量が確認されたので出荷の自粛をお願いします。」と
何度も流していたということです。
買い物に行ったホームセンターにはガイガーカウンターが山積みとなっていて
この1年あまりで世界はまったく変わったのだということを認識させられました。

では、最後にもう一度「のうのうのう」をどうぞ! (詞・曲・演奏・歌 宇井ひろし)


1 昔はのう 良かったのう
  ほうしゃのう のうのうのう
  風はのう きれいでのう
  ほうしゃのう のうのうのう

2 昔はのう 良かったのう
  ほうしゃのう のうのうのう
  水はのう うまくてのう
  ほうしゃのう のうのうのう

3 オラは農 やっぱり農
  ほうしゃのう のうのうのう
  オメエと農 やりたい農
  ほうしゃのう のうのうのう
  
  ほうしゃのう のうのうのう

ミラノのドゥオーモ





ミラノのドゥオーモの外側と内部、その壮大さと徹底的な細部の美へのこだわりはすごい。
完成まで500年かかったという。
そしてミラノ育ちの友人のエリサの話では、以前は色がくすんで汚れていて悲しい感じがしたが、
6年ほどかけてきれいにしたので今はこんなに美しい姿になったのだそうだ。
中は静かでひんやりとした巨大な空間で圧倒される。
支える柱などまるで恐竜の足ではないか。
見上げた空間など小さな飛行機なら飛べそうである。
ちょうどパイプオルガンのパイプを差し変えたりして調律中の音が全体に響き渡り
荘厳かつピンクフロイドの音楽のようなシュールな感覚を覚えた。
昔の人は凄い物をおっ建てたものだ。ため息。





パレルモの路地



パレルモ市街の路地には八百屋があったり安い服屋があったり魚屋があったり、
骨董品屋が軒を並べていたり。
壁にはめ込まれたガラスの中にイエスやマリアの像があり、いつもバラか何かの花が飾られている。

バラといえば、夜に港の近くの路地で娘とリストランテを探していた時のこと。
暗がりから赤いバラの花売り男が突然現れびっくりした。
カップルだと勘違いしてバラを売ろうとしたらしい。
もちろん買わなかったけれど目当てのリストランテに入っていると、
またもその男がドアを開け入って来て私たちのそばを通り過ぎ、
奥にいた落ち着いた雰囲気のカップルを目指し「花はいかがですか?」と。

紳士はさっそくバラを1本買い同伴の女性にプレゼントする。
女性も幸せそうな笑顔で受け取る。
そのやり取りが粋でかっこいい。
花売り男もやったぜ!とばかりに満足そうに店を後にした。

また別の夜、ケバブを出すオープンテラスの店で食べていると
箱にどうでもいいオモチャのような物を並べた男が現れ各テーブルをまわりはじめた。
「ノーグラッツェ」と断っていると
今度は突然背後にチャリンコの荷台に大音量のスピーカーを積んだアフリカ系の男が現れた。

自転車を店の前に止めると男はそのビートに乗って踊りだした。
とにかく大音量、その場を乗っ取るような音なのだが、
店の人は特に追い払うでもなく(だがちょっと迷惑なのは確か)
また来たかという感じで淡々と給仕の仕事を続けている。

今度は何を思ったのか男はノートパソコン(持ってるところが不思議!)を取り出し
曲目をレゲエに変えまたとびきりの笑顔で踊りだす。

誰一人相手にしていないがおかまいなしに踊る。
もし見て拍手でもしようならお金を要求されるに決まってるので誰も見ない。

物売りもこうした大道芸人もみんな断られても無視されても
あきらめない、このしたたかさはすごい。
それでも、たまに寛大にお金を払ってくれる人がいるからこの仕事を続けているのだろう。

何とか共生しているところが凄い!

席を立って遠くからしばらく見ていたが男がお金をもらっているところはついぞ見なかった。
陽気な音楽は路地裏に響きわたる。

さて、写真はランプシェード屋さん。
イタリアでは照明は明るすぎない。
電力消費量も日本よりずっと少ないと思う。
室内は間接照明をうまく使っていて、
通りには骨董品のような美しいつるを模した街灯など、
照明が生活を美しく演出するものとして大切な位置にあるようだ。

パレルモではこうしてよく歩き、
日帰りでシチリアを縦断して遺跡のあるアグリジェントという街にも行った。



道中列車の窓からはレモン、オレンジ、ブドウ、オリーブ、アーティチョークなどの畑や
小麦や牧草が岩が突き出た起伏に富んだ斜面をおおう風景が見渡せた。
屋根にサボテンが生えた建物やくずれかかったままの遺跡のような廃墟も流れて行く。

こうしてしシチリア島で4日間を過ごしウインドジェットという格安航空で
ミラノに向かった。





シチリア島 パレルモ



パレルモに入るとその喧噪そして治安の悪そうな印象にとまどったが
次第に慣れて行った。
ローマ通りとエマヌエル通りの交差点近くの安宿に3泊。
真夜中の数時間以外は車のクラクションがひっきりなしに鳴り
最初はうるさいと思ったが次第に慣れあの喧噪が今では懐かしい。
ベランダに出て下の風景をスケッチしたりしていた。
美しい装飾の古い街灯。

着いた日は何かのデモ、大勢の人が歩き車はストップ、
そこにのこのことパニーニ売りの屋台が入り込み商売をはじめようとする。
群衆が仕切り板をばんばん叩く。
警官にエスコートされ群衆が通り過ぎればまた交通は復活しブオーッ、プップーの始まり。

道ばたには老女が物乞いをし、乳母車を押した若いお母さんが脇を過ぎる。
路上にはごみや犬のフンがありモデルのような美しい女性がそれを巧みによけて颯爽と歩く。

交差点に車が止まればすかさず頼まれもしないのにモップを持った男達が洗剤片手に寄って来て
ウインドウガラスを拭こうとする。
たいがい追い払われるがごくたまに小銭をもらう。

そのそばで楽しそうに手をつなぎキスをする恋人達。

そのすべての雑多さがなんとも居心地が良くなってしまった。
パレルモ。

シチリア島 トラーパニ



格安航空のライアンエアーでシチリア島トラーパニ空港に降り立った。
あ、本当だった! 無事着陸した時に拍手がどこからともなく起こった。
当然私たちもいっしょに拍手、ブラボー!

空を飛んで無事着陸できたことは実は凄いことなのに
当たり前のような顔してすまして無表情で降りていくより、
とても人間的な暖かい感じがする。
「チャオチャオ!」と別れのあいさつも飛びかう。
イタリア人のとても素敵なところだと思う。

トラーパニは港町で両側が海の細長い街。
バスの中では乗って降りるまでしゃべり続けていたおばさんが、
降り際に笑顔で私たちに「ボナパスタ!」(良いパスタを!)と挨拶してくれる。
娘によるとこれは私たちが旅行者だとわかったからちょっとユーモアのある表現を
してくれたのだそう。

街を歩いているとあちこちで年配の人たちが何やら楽しそうに立ち話。
一人のおじいちゃんが「ジャポネーゼ?」と私たちに声をかけてくる。
「戦争中に長崎に行ったことがあるんだ」とたどたどしい英語と娘のイタリア語通訳で立ち話。
笑顔でチャオ!

海辺の道ではジョギングして来た男性がボンジョルノと挨拶をくれて通り過ぎて行く。

古い歴史ある小さな街、2階から下げたロープで生活品をあげたり降ろしたりの素朴な人々の暮らし。
大きな船が寄港するからかその細い路地にパリッとした洋服屋がいくつもあったりする。

へたな笛を男が吹く横でお金を要求する大男を無視してリストランテを探し
娘の勘にしたがい入り、結果満足。
新鮮な魚介類を使った料理は聞きしに勝るおいしさだった。
さすがシチリア!

居心地十分な安宿に1泊、翌日バスで州都パレルモに向かう。

Bologna Children’s Book Fair



フィレンツェ駅から列車でボローニャ駅、駅からバスで会場へ。
毎年1回の世界的な絵本のお祭りであり新人作家の登竜門とも
なっているらしい。

さながら絵本のオリンピックのようでいろんな国のブースがある。
あまりに広い会場で出展数が多いので私たちは待ち合わせ時間を決めて自由に見ることにした。

そこは想像力の森。
飛行機やフィレンツェの大聖堂などの建物を作ってしまう人間って凄いと思うが
絵を描く人の才能もすごいなと思う。








最後の絵本は以前お会いして話をしたことのある西村繁男さんによる作品です。「やこうれっしゃ」持ってます。


フィレンツェ

 

フィレンツェでは安宿に3泊しその間街を見物したり娘の友人達と会って散歩したり食事をした。

その友人達のうちの一人セバスチャンはフィレンツェの古い大学でコンピューターを教えていたが、
体調を崩し退職、今は職を探しているがなかなか見つからないという。

日本が好きで昨年3月11日には東京にいてあの地震を経験している。
家族から早く帰ってくるようにと泣きながら電話があり数日後には帰国の途についたが、
娘が言うには「僕の魂は日本に置いて来た」といつも言っているとのこと。

日本のバッジをつけているのを見せてくれる。
娘は日本にいる時買ったスニーカーにたまたまイタリア国旗がついているのを見せ笑い合う。
娘はセバスチャンからイタリア語を教えてもらい彼は娘から日本語を教わるそんな友達だ。

セバスチャンは50年前100年前のイタリアは好きだけど今のイタリアは好きじゃない、
フィレンツェなんてテーマパークみたいなものだしと言う。

確かにわかる気がする。
でも私はイタリア人のサバサバしたところやフレンドリーな笑顔、服の着こなし、
歴史ある街並を壊さないセンスの良さには魅了されてしまった。

私たちは日本にないものを求めるしセバスチャンはイタリアにないものを求めている。
そういうことなのだろう。

セバスチャンが子供の頃チェルノブイリ原発事故が起こり被曝している。
その影響は今も喉の異常となって残っていると言う。
そのことには深くは触れなかったが食べ物には気を使っているのが伺えた。

繊細で心優しい青年。
サンロレンツォ教会の前の広場に警官がたくさん出ていたので何かと聞くと、
12月にここでイタリア人男性が何人かの黒人の露天商を白昼射殺しその後自殺するという
いたましい事件が起こったので警戒中だという。
やはり日本と違い移民を受け入れている国だけあり人種間のトラブルはあるのだろう。
セバスチャンはそういう人種差別があることが恥ずかしいと言った。

ずいぶん長いことフィレンツェを歩きながらいろんな話をした。
イタリア語と日本語と英語がごちゃまぜにたどたどしいながらも。
ことばってやっぱり大事だ。
コミュニケーションのかけはし、日本語ももっと正確に使えるようになり
英語や、できればイタリア語ももっと勉強したいと思った。

旅はボローニャへと向かいます。


小さな村パンツァーノ



翌日グレーヴェの広場で毎週土曜日に開かれるメルカート(マーケット)に行く。
その活気、子供からお年寄りまで親しく人々が「チャオ!」と声をかけあう。
台所用品から花から着るもの、食べ物まで大抵の生活に必要なものは揃いそうだ。

その後、グレーヴェから10kmほど離れたパンツァーノという小さな村で
ルカ&ワンリご夫婦と待ち合わせをする。

彼らはここに住むアーティストで絵や造形など多彩な作品を制作していて、
ワンリさんは日本人で精神疾患の施設で絵の指導などもしている。
娘がこの写真の肉屋兼レストランで彼らと偶然知り合ってからのお付き合いだそうで
私たちを引き合わせてくれたのだった。

ワンリさんと話をするうちワンリさんの友達の日本人シェフの話になり、
その人が現在東京の西荻窪で「29」という人気イタリアンレストランを経営していると聞いて驚いた。

この春私が神奈川に住む友人と会った時に「今友達がイタリア料理でブレイクしていて」
と聞いたその人のことだったからだ。

そのシェフがその昔パソコンの学校に入ろうとした時に私の友人が
「お前は食べることが好きなんだからそっちじゃないだろう」
と言ったひとことがきっかけとなり進路を変えて食の修行を始め、
イタリアまで行き腕を磨いて自分の店を持つまでになったのだそう。

人の運命というのはどういう人と出会うかでまるっきり変わってしまう。
だからこそ人生はおもしろいとつくづく思う。

ワンリさんはまた日本の原発事故についてもとても心を痛めていて
イタリアからも署名を集めたりできることをしようとがんばってくれている。
原発のことは全然楽しい話題ではないけれど、やはりこんな遠くに来ても
同じような感性で何とかしなければと現実と向き合っている人がいるのを知ることは
とてもうれしい。ありがたい。

さて、私たちがランチを共にしたのはこの写真の肉屋についているレストラン。
ランチタイムということもあり満席だが運良く座れてとても安くおいしい料理を味わった。
丘の上の村なのでトスカーナのなだらかなブドウ畑や落ち着いた赤い屋根の家々が見渡せる。

このお店「アンティカ・マチェレッリア・ディ・チェッキーニ」は普通のお店とは
ちょっと違うらしい。
世界的に有名らしいのだが、以下抜粋。

「数年前、イタリアを狂牛病の嵐が吹き荒れ、多くの肉屋がつぶれた。
そしていよいよ骨付き肉の販売が翌日から規制されるという日に、
店主のダリオは行政への抗議や消費者の啓蒙など、いろいろな意味を込めて、
村でフィオレンティーナ(フィレンツェ風Tボーンステーキ)のお葬式を大々的に行った。
彼のトレードマークの深紅のバラに包まれ、
本物の棺桶に入れられた肉は、その後
エルトン・ジョンなどトスカーナを愛する有名人が多数参加したチャリティオークションに
かけられ、収益はすべて地元の子供病院に寄付された。」


(イタリアのおいしい旅 スローフードガイドブック 池田律子著 阪急コミュニケーションズ刊より)

このあたりの気候は良質なワインのためのブドウ栽培に最適で、
村で年一度大きなワイン祭りがありアーティストのルカはその飾りつけを任されているのだそう。
噴水の周りの鉄筋のオブジェもルカが作ったもので村人の憩いの場となっている。
彼らのアトリエも見せてもらったが「楽しいってことがとても大事です」とルカが言う。
二人とも素晴らしい芸術家だ。
出会えたことに感謝!

オリーブ畑とブドウ畑をぬけて



「あれが私の働いていたところよ」と指差す我が娘 ここはワインで有名なトスカーナのキャンティ地方 

この日、娘とアグリツーリズモ(農村ホテルとレストラン)を経営する奥さんが
車でフィレンツエ空港まで私たちをサプライズで迎えに来てくれた。
娘は前日で最後の仕事。
奥さんにグレーベという麓の街に私たち3人を降ろしてもらい、
娘は感謝の気持ちをお世話になった奥さんや同僚に伝えるために
色鮮やかなチューリップの花をたくさん買いました。

丘の上の一本道、なだらかな斜面にはよく手入れされたブドウの列とオリーブの木が広がる。
オリーブにはしごをかけ枝の手入れをしていたおじさんが陽気に「ボンジョルノ!」とむこうから声をかけてくれる。
このあたりで最も美しい村と言われるモンテ・フィオラーレという古い村を抜けて行く。
ところどころに桜の花、ミモザの花、すもものような白い花、そしてひょろ長い糸杉が景観に色をそえている。

そしてそのアグリツーリズモにたどり着きその完璧な美しさに圧倒される。
オーナーがよく働いた娘へのお礼として私たちを招いてくれたのだった。
そこは旅行口コミサイトによる評価ではキャンティ地方の中で1位のホテル&レストラン。
あるフランスの有名女優もお忍びで滞在したほどの超一流の隠れ家的アグルツーリズモ。

翌日、娘との別れを家族的な同僚達は惜しんでくれ奥さんも別れ際に涙を流してくれた。
そのあと娘もしばらくベンチに腰掛けて泣いていました。

イタリアより戻りました






写真はイタリア北西部フランスにも近い小さな街ブラにあるスローフード国際本部の入り口のポスターそしてレストラン。

おかげさまで無事15日間のイタリア旅行から帰りました。
娘とイタリアの友人達、そしてかつて我が家で過ごしたイタリア人ウーファー達のおかげで
とても充実した旅となりました。感謝!

新たなスタート楽しい断酒4日目


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