農場日誌

ひろういの農に生き音楽を作る日々 Since 7th June 2007

March 2008

まともな感覚

今、教育現場にとても関心がある。
たまたまテレビで見たのは愛知県犬山市の教育への取り組み。

あんな教育長もいたなんて!驚き、そしてうれしくなった。
取材の中の一言で彼のまともさがわかった。
「国家権力が教育に介入してきたらロクなことにならない。」

その教育長は上からくるクダらないどうでもいい書類を
学校にまわさずにだいぶ破り捨てたと言って笑う。(素晴らしい)

東京都のある学校では年間4000枚もの書類を
教師が提出しなければいけないという。(変だろこれって!)

本来の教師の役目である子どもと向き合うということ、
それができる自由があってこそ
仕事への誇りと意欲を持てるんじゃない?

犬山でも先生は残業もあり忙しいが、
空しくなってしまう忙しさとは質が違う。

その様子をビデオで見せられた東京都の教師達は
自分たちとの違いに驚き、うらやましがり、
「転勤したい」と言った。



都会体験記

SUICAというカードを東京で初めて使った。
初めはぎこちなくお上りさんがバレないように必死だったな。
夜の首都高では友達の車でETCを体験、SUICAの車版、(みたいな)
どちらもゲートの開く素早さに驚く。空想科学未来小説!

中央線各駅停車の電車には驚いた。
エレベーターのボタンみたいなのが中についていた。
よし、あれを押せば出られるんだなと事前に確認したつもりが、
目的駅に着いてもドアが開くのをボーッと待っていた。
幸いほかに降りる人がいて押してくれたから良かったものの・・・。

世田谷線の小さな電車では長い髪の女性の車掌さんが
最後部に立ち、「もう少しおつめくださ~い」とか案内している。
笑顔でいかにもこの仕事が好きという感じがステキだったナ。
窓から見える民家に夏ミカン、畑も見えてたっけ。

渋谷ではハチ公のそばに喫煙所がありニコチン依存症患者たちが
集まり安堵の煙をモウモウと雨の空に吐き出していた。
嗚呼、哀れなる社会の嫌われ者どもよ、わたしもその中の一員であったが・・・。

北海道に帰りほっとはしているが、東京の持つエネルギーもまた
嫌いじゃないな。喧噪もまた人間くさくていいものだ。
(たまにだから言えるんだけどね。)



風呂敷

       風呂敷       ひろうい

宇宙を包めるくらいの風呂敷がほしい
くるっと包んで背中にしょって
ちょいと神様のところまで

ゴロンと広げて指をさす
「このへんを修理してください。」
すると神様は
「ごめんごめんワシの設計ミスじゃった。」
と言って直してくれるか
それとも ただ笑っているだけなのか
そのどちらかに違いないのだ

どちらにしても
また背中にしょって帰り
もとの場所へ放すつもりだ

宇宙を包めるくらいの風呂敷がほしい

             07 6月 「えだみの空間」に投稿


今朝は3cmほどの積雪、その後とけて小雨がパラつきまた雪へと変わっています。
今日は有機認証の書類作りになかなか集中できなくて苦しんでいました。
関心があっちへ飛んだりこっちへ飛んだり、これを人は逃避と呼びます。
神様は助けてくれません間違いなく。(笑)

福寿草の花



ありがたいなあ 春
春の港にまたたどり着いた
まだ黄色がまぶしい



NHKテレビ「爆問学問」


           撮影:那覇市国際通りにて

ここに書いた記事を読み直したらダラダラ長く駄文であったため削除しました。あしからず。(ああスッキリ。)3/27
京都大学での教授や学生と爆笑問題のトーク、とても面白い番組でした。

イモを庭へ移す

雪も薄くなったので埋めてあった種イモを外に出した。
(マチルダ12袋・ワセシロ9袋・ハナシベツ2袋・状態良好)        
暑いくらいの一日。
雪が融けるといっきにやることが出てくるが、まだ体のほうがついてこない感じだ。




              

♪ わたしゃ あの時の亀なんです
  わたしゃ のろまなんです
  でもね
  のろまでもいいことあるんです エッサホイサッサ ♪

昔、わたしの子ども達がどこかでミドリガメを買ってきて飼っていたことがある。
ある日、亀たちは脱走し行方知れずとなった。
当時小学生だった娘がその亀を想って即興で歌ったのがこの歌。
子どもは天才だと思った。(笑)
それ以来ギターでコードをつけ、時たま思い出したように歌わせて貰っている。
  

久々のパセリ座訪問



夕方に、少しばかりのマキのお裾分けを持って友人のひでおちゃん真由美ちゃん宅に行ってきた。

家の中ではトマトやナス、ピーマンししとうなどが元気な双葉を広げていた。
ひでおちゃん達は果菜類が得意、わたし達より1年早くここ新得町に入植した。
真由美ちゃん手作りのうぐいす餡パンとコーヒーをいただきながらしばし談笑する。

沖縄旅行に出る前に見せて貰った新しいマリオネットの人形はまだ真っ白だった。
それが今日見ると表情がつき、きれいに色が入っていた。
人形作りから洋服作りまですべてひでおちゃんの仕事。
こつこつと、きっと職人のように仕上げていくのだろう。

この冬は「フランダースの犬」を近隣の町村の保育所・図書館などで上演していた。
毎年、前の冬に作った劇を演じながら同時に次の冬のために準備する。
ずっとそうやってきた。

今度の冬に演じるのは「森のお姫様」というお話。
バスケットの中に無造作に入っている人形達は、なんとも可愛らしくそして美しい。
いつもながら惚れ惚れしてしまいため息が出る。

すきまだらけの離農後の家に住みながらも、簡素な生活そのものを楽しんでいる二人。
雪に埋もれながら人形を制作しお菓子を焼く仲の良い夫婦は
まるで人形劇の物語の中の住人そのものなのではないかという錯覚すら覚える。

たとえば通りを歩く貧しく心の荒んだ人々に神様を見た靴屋のマルティンのような・・・。

宮沢賢治の作品が好き、星座の観察が好き。
何とも愛すべき友人達なのだ。



雪山の春に



   かすんでいても    ひろうい

遠くにかすんでいても  山は山
そばまで行けばその大きさがわかるだろう

雪をかぶってる 雲と遊んでる
鳥が歌ってる 枝を光らせてる

歩いて行こう
僕らのあいだの霞が消えるまで


(さあ、即興の駄作詩をしたためたところで、そろそろ農業モードに頭を切り替えなくちゃなあ。
なんといってもそんな季節。さあ、やるか。)

突然マキをいただいて



新得に住んで30年近くになるが、入ったばかりの時から私達をまるで友達のように
扱ってくれた人達がいる。その中に西村さんという元郵便局員の方がいる。

奥さんの実家の牧場ではよくいっしょに牧草梱包運びをしたものだ。
そのあとの鹿肉とビールの旨かったこと。

その西村さんが奥さんとトラックに乗って突然やってきた。
荷台には直径40cmはありそうなカラ松。割ればいい長さにすでに切られている。
「おう、どこへ降ろす?」「え~?こんなにいいの?」「うちはいっぱいあるからいいんだ。」「じゃ、ここ」

「今のうち割ったほうがいいぞ、乾いたらもう割れんくなるから。」そう言いながら荷台から降ろす西村さん。
今までいつもこんなふう。
ハンターなので鹿はもちろん時には「おう、クマとったぞ」と突然現れ、我が家の夕食がポークカレーからクマカレーに変更されたり、
森に丸太をいっしょに取りに行き、わざわざ電動マキ切り台を貸してくれたりしたこともあった。

ありがたさと北海道人の大らかさを噛みしめながらマキを割るこの頃である。

春風のポップン ファーム ミュージック 

4月18日(金)7時より札幌のフェアトレード雑貨&レストラン「みんたる」にて宇井らいぶを行います。
1ドリンク付き1500円 終了後交流会に突入します。ふだん行くにもお薦めのお店だよ。店主みかよんは老若男女みんなのマスコット的存在、明るくキュートな笑顔に癒されています。皆さんこれからも支えてあげてね~。


http://www.mintaru.com/

啓蒙とは何か カント (1784年)

啓蒙の定義

啓蒙とは何か
それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。
未成年の状態とは、
他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないでいるということである。
人間が未成年の状態にあるのは、
理性がないからではなく、
他人の指示を仰がないと
自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。
だから人間は
みずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。

こうして啓蒙の標語があるとすれば
それは「知る勇気をもて」だ。
すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。
                
              永遠平和のために/啓蒙とは何か カント著 中山元訳より

春霞の空を白鳥が



朝、薪割りをしていると、
何やら大きな声で鳴きながら白鳥の群が飛んでいった。
この地で白鳥が飛んでいるのを見たのは初めてだ。

行ったと思ったら旋回するようにまた帰ってきた。

そして午後、遅い確定申告提出のため車を走らせていると・・・
いたいた、雪解けが進む畑の中をへたをすれば残雪かと見間違えるような白鳥たちが。
にぎやかに鳴きながら、こぼれた牛用のコーンをつついている。

非現実のようなぼんやりした春の一日、
夕方には、もうすぐ満月の月がまるで絵のように霞んでいた。

そして夜にはすぐ近くの森でフクロウが「ホウ ホウ」と鳴いた。

不思議な一日。
いつもと違う春。

斉藤和義コンサート ゼップ札幌へ



斉藤和義 LIVE TOUR 2008 ~I LOVE ME~

爆音に慣れていないせいか、耳がまだキーンと鳴っている。
札幌中島公園そばのビルの谷間にあるコンサートホール、ゼップ札幌に
連れあいとお友達のミユキさんと私の3人で行ってきた。

連れあいなどは、ほとんど追っかけのようなものだが、
わたしも何気なく聴いてるうちにすっかり好きな音になってしまった。

アップテンポのロック系がいい。
自分の中のロックへの情熱がかきたてられる。
スローなアコースティックナンバーもいい。
彼は詩人だ。

ものごとを少し斜めから見ているその視線がたまらなくいい。
「社会生活不適合者~♪」とノリのいいロックにのせて観客と大合唱。

「ばかにすんなよ 給料上げろ ケチ社長 自分でやりなよ♪」というブルースっぽいのもいい。
みんなも心の中で上司や同僚に、また今の世の中にそう言ってやりたいに違いないのだ。
ばかにすんなよ!」と。

「歌うたいのバラッド」は美しい曲でアコギ一本で歌い上げた。
ミスチル桜井くんがカバーして歌っている曲でもある。

私が結婚式に最近歌っている「ウェディングソング」もこの人の曲。
素晴らしい名曲だと思う。
去年の今頃はじめて聴いたとき、
「誰も幸せしかいらないだろう それだけを祈るだろう♪」というフレーズで泣きそうになった。
そして即コピーしたのだった。

800人の聴衆といっしょに熱気あるライブを楽しんだ。
わたしたちは一番年配の部類ではあったが。(笑)

斉藤和義はいい。span>

沖縄 3.06



沖縄県糸満市にある平和記念公園の「平和の礎」のそばに立ちてspan>



平和記念公園のこの木は何を見てきたのだろう。



「ひめゆりの塔」そばの千羽鶴の束



宜野湾市の海岸に夕陽を見送る。
沖縄の海は夢のようなきれいな色で何回もため息。
ここは今回千葉でお世話になったミュージシャンでお米も育てる哲ちゃんの故郷でもある。

あちこちに米軍基地はあった。
ただ戦争反対を叫ぶことに意味はない。
平和は日々創っていくもの。それは人が幸福になろうと努力することの中にあると思う。
何が価値なのか自分の頭を使って考えていくこと。
戦争自身がいちばん恐れるのはこのことだと思う。

ペケ宅BBQセッション3/8



はじめての対面を果たした20年来の産直野菜のお客さんの小野さんご夫妻と愛犬サスケ、
そして古い友人ペケ一家、三軒茶屋のライブのあと拉致されてきたペケの弟ひろし君と
珍しくポカポカ陽気の庭で炭火焼きをしながらセッションを楽しんだ。

プロデューサーとして午後から東京でバンド録音があるひろし君はこのあと
「もっといてえ~」といいながらマキちゃんの車で駅に送られていった。

ひろし君は歌もギターもめちゃうまい。
なんせ楽器を始めたばかりのTOKIOに弾き方を
教えたというような人なのだ。

またクイーンのコピーバンドで「グイーン」というバンドに
弟でプロベーシストのさとし君と共に参加しているのだが、
「グイーン」は知る人ぞ知るコアなファンのいる人気バンドなのだ。
ライブは年2回ほどで今年5月にそれがあるという。
ファンが待ちこがれているスペシャルライブなのだ。

さらに私が夫婦そろって斉藤和義の大ファンで
今度ゼップ札幌にライブを見に行く話をすると、
「斉藤君?おれの友達だよ。」だって。
「え~!?」もうびっくり。
ひろし君の本業は作詞家で今までに5000曲も書いたという。
どひゃ~!私の100倍、すごい才能。

ペケはちょうど私が行っている間、
いろんな疲れからか左手が痛くなっていてギターが弾けなくて、
でも変わらぬ透明な声で歌いいっしょにセッションを楽しんだ。

早く治りますように。

3兄弟の中で唯一カタギの仕事でずっとやってきたペケは、
弟さん達からは兄貴が音楽好きでいつも身近にいい音楽が流れていたり
歌を作ったりしていたからこそ
今の自分たちがあると、とても尊敬されているのだ。
仲の良い3兄弟なのだ。

北海道に帰ってから電話でひろし君と話したが、
この次私が東京でライブする時は練習しておいて
ギターやコーラスを手伝ってくれると言ってくれた!

ひろし君一家もまた長年の野菜やトウキビのお客でもある。
思えば今回お世話になった友人達はみんな
農場産直をずっと支えてきてくれた人達だ。
本当になんてありがたいことだろう。

小野さんがブログに写真をアップしてくれました。

http://sasuke.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_47f6.html

http://www.gueen.com/ (グイーンのサイト)

ただいま

今日午後とかち帯広空港着で帰り着きました。
とても中身の濃かった今回の10泊11日の旅、
友人達に感謝の気持ちでいっぱいでこみ上げてくるものがあって
胸が痛いくらいです。これからボチボチと書いていこうと思います。

まずは松戸と一宮のライブをオーガナイズしてくれたモンスーンレコードの玉木さんが
「豊年日記」にその様子を載せてくれたので読んでみてください。

http://blog.livedoor.jp/monsoonfarm/?blog_id=2362818



そして友人ペケの「アントラ日記」も転載させてもらいます。
以下、ほめすぎのところもありますが、全文のまま・・・・。


3月10日/春のカモメ見えないレール見るこころ

楽しい週末だった。
北海道で無農薬有機農業を営みながら音楽活動を続けている宇井さんは、もう30年来の友人。
彼が沖縄夫婦旅行帰りに東京でライブを行い、
それからウチで2泊してもらって
友人夫妻やら弟やらも集まって、酒と音楽三昧。
一人で聴くのがもったいないような真夜中のセッション、昼下がりの炭火焼きセッションに、宇井さんの炬燵ライブと続く。

この炬燵ライブがまた酷い。
聴衆約4名と一匹。うち2名は二日酔いと睡眠不足でほぼ寝ている状態。
拍手もスリーピング・オベーションとか言って寝ながらやっている。
日本一だらしない観客でごめん、とか言いながら、至福の時間は流れていった。

一日中ウチにいて、宇井さんはふいとギターをとっては歌い始める。
ふたつみっつ歌っては、また、おしゃべりに帰る。
飲んでは歌い、歌ってはまた飲む。彼は豊かな泉のように歌う。


比類なく善隣で超人のような宇井さんだが、
彼も実は二人の息子のために苦労している。
彼のような人でさえ苦労しているのだからワタシなどが苦労するのは普通のことなんだろう。
ワタシたちの子供は躓き、ワタシたちも躓いた。
しかし、それもきっと意味のないことではなく、必要なことだったのだろう。
……と、彼の歌を聴きながら、そんなふうに思ったのだった。

豊かな週末だった。
美味い酒を持って駆けつけてくれた小野夫妻もまた30年来のつきあい。
ワタシたちと宇井さんの息子についてのグチの言い合いのようなものも、
構えるでもなく流すでもなくサラリと聞いてくれる。ありがたい。

さんざん飲んだ日曜日の朝、ワタシの小便からは吟醸香が立ち上った。
なんとまあ、豊かな…。

父と歩く 3/12



おとといは2泊させてもらった玉木家をあとにして
千葉の実家に電車で向かった。
久しぶりに会う父母はともに元気だった。
「若夏」ライブのビデオを見て喜んでくれた。
むかし与論島に仕事で住んでいたことがあるので
沖縄の話も懐かしそうにしていた。

翌朝母はお寺の草取りの仕事にでかけ、
わたしは79才になる父が毎日歩いているという
1時間半の散歩につきあった。

神社があるたびに帽子をとり一礼。
休憩地点というガードレールやら切り株やらを示しながら
一休み。
風の冷たい桜並木の川沿いや田んぼを歩く。

戦争の時にはこの町にも空襲があったそうだ。
むこうの山に父が高校3年の時アメリカ軍の戦闘機が
炎上し翼がもげて落ちたのを見たそうだ。
すぐに見に行き、そのあと部品を拾うために3日ほど通ったという。
ひとりはすでに黒焦げになり、
もう一人の黒人兵はオオヤケドを負い泣きながら
日本軍に連行されていくのを見たそう。
人々は竹やりを持って集まっていたという。
たかだか60年ちょっと前のこと。
今とはまったく違う世界がここにもあったことを
思い浮かべやりきれない思いになる。

今がそのころにに比べていい時代かどうかを
いうのは意味がない。
故郷は帰るたびに姿を変える。
遊び場だった田んぼの小川はコンクリートの下に。
農道は舗装され幅が広がった。
田んぼにできた大きなセレモニーホール。
それを見るたびに胸の中のどこかが痛む。
人間だけの金の都合により、私の中で故郷が
呼吸困難を起こしている。

父は毎回わたしが帰るたびに
お前はいつか体がヨレヨレになって農業も出来なくなるから
帰って来いと言う。
自分が死んだあと、この家にだれも住まないことが
気がかりなのだ。
けれどもわたしにとってはこの田舎町では
何かがそがれてしまう。
北海道のほうがまだ希望がもてる。
父には死んだあとの自分の家のことなんか
心配しないほうがいいよと言う毎回の会話である。

玉木哲ちゃん智ちゃん&ボビンとのライブ



北松戸 若夏ういライブ 3月9日

北松戸の「若夏」はまた沖縄を再訪したかのような錯覚を覚える場所だった。
ボビンも前日の東京ライブを終えてすでに来ていた。哲ちゃん智ちゃんは私が着いたとき
すでにセッティングを終わらせていて、さっそくリハーサル。
ソロとはまた違う幅の広がったサウンド、すいすいと何曲も決まっていく。
力持ちのミュージシャンたちに支えられて光栄そして幸せ。

リハを終え集まってきた人と話をする。
なんと約20年ぶりに再会した無農薬八百屋「真澄屋」のアチ。
有機でとても広く米や野菜も作っている百姓でもある。
お互いの元気を確認しあい堅い握手。

近くに住む私の親類や息子も来てくれた。
コンサートは大盛況、チャンプラースのエイサー隊の小さな女の子や
女性たちが息のあった踊りで音楽に合わせて踊ってくれた。
アンコールも何度もありボビンも「クラップソング」を歌ってくれた。
みんな本当にありがとう。

一宮町 宮崎邸ういライブ 3月10日

その夜のうちに玉木哲太郎さんの運転で一家の住む九十九里浜にある一宮町へ移動。
源太郎くんは6才の子でとても可愛い、子どもらしい子ども
昔の子どもがそのまま現れたような。
翌日は彼らの田んぼを見せてもらい
ハーブアイランドというレストランで食事。
大きなハウスの中のすてきなレストラン。

きのう夜の宮崎さん宅のホームコンサートは今回のツアーのファイナルに
ふさわしく温かくフレンドリーな雰囲気で気持ちよく演奏させてもらった。
宮崎さんは元々東京の人なので趣味もおしゃれで、
植木等のスーダラ節が好きだという。(笑)いいなあ。

また、驚きの20数年ぶりの再会もあった。
わたしに話しかけてきたその人は、もとギターを持った旅人「バゴン」だった。
「武田ですが・・」と話しかけてきて、じっと見たら思い出した。

わたし達がニワトリ小屋を改造した家に暮らしていた頃
一ヶ月近く滞在してオリジナルの歌を歌いあったり
農作業をともにしたことがある人だった。

わたしが「越冬バンド」時代に吹き込んだテープを
その後もずっと聴いてくれていたという。
本ライブが終わってからだが、
彼のリクエストに応えて「キャベツ畑のトワイライト」を歌うと
涙をポロポロ流し男泣きに泣いた。
わたしも歌いながら泣かないようにこらえながら、
彼の人生の中で越えてきたすべての深さを思った。

私のリクエストに応えて彼は「月明かりを抱きしめて」という名曲を
歌ってくれた。あの頃のように私もギターを重ねコーラスをつける。
そして少しずつ蘇るあの頃の記憶。

今はこちらで家庭をもち不動産会社を経営していて、なんと孫までいるそう。
彼もまたオリジナルの歌を歌っている。
暮らし方はさまざまでも根本のところで大事にしていることは
お互いおいそれと変わるものではないと改めて思う。
まあとにかく、お互い元気に四半世紀ぶりに再会できたことの奇蹟よ・・・・。

さて当日のコンサートではソロでやったあと後半で玉木哲ちゃん智ちゃんが
ベースとフルート・サックスなどを、ばごん氏の奥さんマユミさんがジャンベを
入れてくれてノリよく盛り上がった。
二人の子どもがダンサーとしてさらに雰囲気を盛り上げてくれた。
みなさん、本当にありがとう!

八百屋真澄屋のサイトです。

http://www.masumiya.net/

三軒茶屋「ふろむあーすカフェOHANA」ういライブ



東京ふろむあーすカフェOHANA ういライブ 3月7日

沖縄旅行から帰ったその日にライブ、
会場の三軒茶屋「ふろむあーすカフェOHANA」はステキなオーガニックカフェでした。
聴きに来てくれた方々ありがとうございました。
満員で入りきれない方が出るほどでした。

久しぶりに会う友人、
ウーフでいっしょに農作業をしたアイちゃん、娘の友人、
世田谷の児童館関係の皆さんと共に、
都会の真ん中とは思われないような
落ちついた雰囲気で楽しいひとときを過ごすことができました。

自宅建設で忙しい中今回のオーガナイズをしてくれたチエちゃん、クマさん、ほんとにありがとう!
また快く場所を提供してくれた「ふろむあーす」の藤田さんご夫妻、ありがとうございました。
また次回もぜひやらせてくださいね。

ペケ宅セッション 3月7~9日

その日の晩から友人ペケ宅にお世話になっています。
プロの作詞家で音楽プロデューサーである弟さんもいっしょに来て
夜中3時過ぎまでセッションして遊びました。
彼は高校時代の夏休みに一ヶ月近く芳賀家に滞在して
いっしょに農作業したり
ギターで遊んだりして以来の付き合いです。
なつかしい曲を3人でハモったり、それは楽しい夜でした。

翌日もポカポカ陽気で外でBBQをしながらセッション、
その後弟さんは仕事があって帰ったのですが、
今度はバトンタッチするかのように
20年近く野菜をとってくれているお客さんのご夫婦が
遊びに来てはじめての対面を果たしました。
またいろんな話をしたりブルースセッションしたりと
楽しい時間を過ごさせてもらっています。

さて、今日は松戸「若夏」でライブがあります。
いいライブが出来るように充分休ませてもらった気がします。
ペケ&マキちゃんには本当に感謝です。

今晩からは、玉木夫妻にお世話になります。
5時くらいに入りリハーサルです。
ボビンも来るようなのでまた盛り上がりそうです。

訂正です!

ふろむあーす の住所が間違っていました。
ふろむあーすカフェOHANA世田谷区三軒茶屋1-32-6(国道246沿い)です。
電話 0354338787
前出の住所はショップのほうですのでお間違えのないようお願いします。

田園都市線三軒茶屋駅より歩いて4~5分、国道246沿い渋谷と反対方向に左側のみちを歩き
コンビニ「ミニストップとなりです。

3月7日コンサート追加

世田谷区三軒茶屋の「ふろむ あーす」という自然食カフェで急きょ「宇井ひろしコンサート」が決まりました

3月7日(金)  夜7時半開演  料金 投げ銭
●フェア・トレード&エコロジー・ショップ●
地球雑貨 ふろむ・あーす

住所   : 〒154-0024 東京都世田谷区三軒茶屋2-13-11(エコー仲見世商店街 内)
最寄り駅 : 東急田園都市線 世田谷線 三軒茶屋駅(世田谷通り出口徒歩1分)
TEL/FAX : (03) 3414-3545
http://www.from-earth.net/OMISE/omise.html

無事沖縄に着きレンタカーで1泊目のバックパッカーズホテルにいます。
はじめての沖縄ですが意外と寒いです。
飛行機から見える雲はまるで春の北海道の雪原のようでした。

沖縄とライブ旅行に出ます

いつも読んでくれてありがとうございます。
さて、結婚28年にして初めての夫婦旅行で明日から沖縄へ行ってきます。
帰りに自分だけ東京方面に行き、友達と再会しライブもして来ます。
今月中頃に北海道に帰る予定です。途中可能ならブログで近況をお知らせしようと思っています。
どうぞお楽しみに

北海道有機農業協同組合 冬の会議 in 札幌

2/29~3/1札幌の会議に行って来ました。
札幌は水浸し。
除雪が追いつかず車線はせまく、排水は氷でふさがれているので
すごい水たまりで横断する人々はつまさき歩きで歩ける場所を
選びながらそろりそろりと大変そう。
水しぶきが歩行者にかからないか心配でした。

久しぶりの、道内各地から集まった生産者たち、流通をになう人たち、八百屋さん達との再会。
札幌駅近くのホテルを会場にしてきっちりとした会議、そして
交流会ではたくさん話をしたくさん笑いました。
ふだんはそれぞれ忙しく
事務的なやりとりばかりのわたし達ですが、
やはり生身の人間どうし会って話すことは
とても大事だなと改めて感じました。

当たり前のことだけれど等身大の同じ人間を感じながらも
ひとつの夢を共有する、とても大ざっぱな言い方ではあるけれども、
元気に農業を続けるのにはとても必要なこと。

「かごしま有機生産組合」の代表である
大和田世志人さんの講演もあり、
早くから有機農業を実践し今では140名もの生産者からなる
大きな出荷団体に成長し若い後継者育成にも力を注いでいる様子を
たんたんと話されました。
わたし達も有機農業への取り組みは北海道では早いほうですが、
大和田さんはそれより先に実践を始められていた、いわば
日本の有機農業のフロンティア的な方です。

およそ組織というものが昔から苦手な私ですが、
こうしてみんなで元気を分かち合うことができて、
参加して良かったと思えた2日間でした。

「北海道有機農業協同組合」のサイトです。
生産者の紹介に「芳賀宇井農場」もあります。
(昨年のイモ蒔きの写真がありますが、残念ながら私の連れあいは写っておりません。 笑 )


http://www.yu-kinokyo.net/nokyo/index.htm
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