農場日誌

ひろういの農に生き音楽を作る日々 Since 7th June 2007

January 2008

スノーシュー大活躍

今まで連れ合いのスノーシューを借りてたのだが、
最近自分用の大きいやつをネットで買った。
これ安い。
近くのSスキー場一日券よりちょい高いくらい。
日中はそばの森の木の手入れと来年のマキの準備。
倒木があったり朽ちた木があったり
ありがたいことだ。
そうしながら、みんなで遊べるような森を作っていきたい。

夜は星空観察、一番見やすい牧草地の真ん中へと出る。
なんといっても
有名なオリオン座、今日は望遠鏡でオリオン星雲を初めて見た。
プレアディス、すばるとも呼ばれるが


あのチラチラ光る星の群れは肉眼で見たほうがきれいだ。
望遠鏡だとたくさん星が見えすぎてしまうので。
シリウスは一番明るく白く光っている。
望遠鏡だと迫力があり、白色光が爆発してるように見える。


星のむこうにまた星
この銀河系をぬけたらさらにまた別の銀河系・・・さらに、さらに・・・
近場の星座あたりを楽しんでいるほうが無難なのだろうか?

いずれにしても自分を、人間を作ったのも
この途方もない宇宙なのだということは確かである。
はあ~ 絶句。
絶句しつつ眠るこのごろである。




わたしのプロフィール



わたし宇井ひろしは北海道を拠点にバンド活動を23年間してきました。
やってきたのはオリジナルの音楽・歌。
大きく3つのバンドを経てその間、
テープやCDも何枚か出しコンサート活動も道外ツアーに
行ったり台湾でもデビューしました。
昨年春よりバンドは解散となり、ソロで活動中です。
コンサートは何らかの形で月1~2回やっています。
現在52才になりますが、音楽への情熱は高まるばかり。
<
span style="font-weight: bold;">伝えたいものがたくさんある>。
特にこどもたちや若者にもっと聴いてほしい。
今は農閑期、少しずつ夢を形にしていきたいと思っています。


使用楽器 アコースティックギター・フラットマンドリン・ハーモニカ・ウクレレ・エレクトリックギター・ベースギター・キーボードストリングス・ドラムス・パーカッション

代表曲 青虫の歌・つるばら・ちっちゃなおしり・冬のダイヤモンド etc 約50曲のオリジナルソング

映画音楽 「森と水のゆめ」藤本幸久監督 「こどもの空」小林茂監督

出版物  カセットアルバム「越冬バンド」「Bird Man」Kazu&Earth-B1989年「LOVE-LETTER TO PRAHA」1989年「ウイラプル・ライブ」ウイラプル
CDアルバム「a piece of peace」ウイラプル1995年 「夏の花」たう1997年 「TAKAYA&TAU楽団」2002年台湾tcm  「YUKITOKE」たう2005年




春へむかって



友人のPeke山田氏が今朝送ってくれた
文章を皆さんにご紹介したいと思います。
親から子へと語りかけるかたちの文章ですが、
自分でもはっとしたり、うなずいてみたり。


   春へ向かって 1    Peke山田

 親とは子供にとって壁や殻のようなものだろう。
それは、ヒナを外敵から守るような存在であるけれど、
また、子供を縛る存在でもある。
高い壁や丈夫な殻は外からの侵入を防ぐが、
内側から出ていくこともできない。
つまるところ「守る」と「縛る」とは、
同じ機能を別の言い方をしただけなのかもしれない。

 子供はいずれの日か親の元を離れて、自力で生きていかねばならない。
その日が近づくにつれ、親の庇護の下にあることが次第に息苦しくなってくる。
それは、自立のための力が育っている証しなのであって、むしろ歓迎すべきことでもある。

 しかし、「外」へ出て行けば、
そのあとは自分で耕さねばならぬ原野のような日々が何十年も待っている。
そこにはレールもなければ時刻表も用意されてはいない。
…と気づいて君は、
自分の中に「何もない」と怖れ、焦ったかもしれない。

 「何もない」と焦ることは君の専売特許ではなくて、多かれ少なかれ誰にでもあることだ。
実は君の中に「何もない」わけではないのだが、今の君にはそれがわからない。
わからないこともまた仕方のないことなのだが、
しかし、それは「ない」と感じた時から積み上げて行けばよいだけのことで、
むしろ「ない」と感じる心がなければ、人は先へ行くことはできない。
また、「ない」ことこそが力であることもなくはない。
…それは、まあ、長い時間を経てのちにしかわからないことだが。


 …君はとりわけ焦る必要はなかったし、十九、二十歳ともなれば、
どのみち親が面倒をみきれるのもあと二年ばかりのことだ。
その貴重な時間を無駄にしないで欲しいとワタシは願う。
どの道を行け、と言いたいわけではない。
ワタシたちは嫌になるようなニュースばかりに囲まれているけれど、
豊かな心を持って生きている人々はおり、
世界は、たぶん君が思うより広い。
そのことを知る機会を失わないで欲しいと願っている。

林の中の夕刻







川べりはハクチョウやカモの村



十勝川温泉の十勝川の川べりに
朝行ってみると、たくさんのオオハクチョウとマガモやカルガモやらが
集まっていた。それらがごちゃまぜに混在していてとてもカラフル。
早朝は-20℃だったとのこと、
さすがに寒かったが白鳥達は平気なんだろうな。

昨夜は「とかち有機ネット」というおもに十勝の有機農業者たちで
作る集まりの懇親会で温泉旅館に
宿泊したのだった。久々によく語りよく飲みよく笑った。

旗によせて

テレビや新聞でたまに出る
丸いグラフ
あんなのはなから信じていない。

世論調査の結果として
たとえば憲法を変えるか
現行のままでいいか、
いつもその結果に驚く。
イラク自衛隊派遣の時も
そうである。

自分の自由な時間も持てずに
日々の仕事に追われている多くの人が
どれだけそれに答える上での
情報に接し、また起こるであろうことを
想像できているだろうか?
世界のことなど
考えてる余裕さえもありゃせん!
声が聞こえてきそうである。

それより
そのグラフ自体が
この偽装ばやりの世の中で
本当に正確かどうかこちらには知る由もない。

城山三郎は日本が戦争で得たものは
平和憲法だけだと言っていたそうだ。
ばりばりの護憲派だったそうだ。

僕が城山三郎の詩「旗」にひかれるのは、
個人と集団について考えさせられるから。
僕にとって「旗」は悪く言えば
徒党を組むということのシンボルかもしれない。
個人と
集団の中の個人とは
まるで違って見えることがよくある。
それは当たり前だし合理的なことかもしれない。
人間が社会をつくる動物である以上。
でも、
最大の徒党である国家となると
時として人間はそちらに吸い寄せられ
個性のいらない部品となってしまう。
そうなると人としての尊厳など無用の長物
旗のために一致団結しようとなる。

個人としての役割にめざめ
旗をふりかざすのをやめ、
新しい世界を創ろうとする人と
ゆるやかにつながりあっていきたい、
そう考える個人の力は
以外に大きいのでは?と
最近思っている。

ユキウサギと枯れウバユリ



枯れたオオウバユリが
冬の淡い光を浴びていた。
こどもらが「うさぎのおかね」と呼んで遊んだ
薄く軽い、びっちりと入っていた種子は
今はからっぽだ。

近くにウサギの足跡が見える。
しばらく、とんと見かけなくなっていたが、
最近よく見るようになった。
反対にキタキツネの姿は少なくなっている。
どこでウサギは生き延びていたのか
野生のたくましさを感じる。


(「かばん」という記事を書いたものの歌で聴いてもらったほうがいいと思い、
勝手ながら削除させていただきました。)



最近よくコンサートの中で歌わせてもらっている故城山三郎さんの「旗」ですが
原詩のままでは音楽に乗りづらいので一部アレンジして歌っています。
そのため原詩をここに掲載しておきます。


      

旗振るな 旗振らすな 旗伏せよ 旗たため

社旗も 校旗も 国々の旗も
国策なる旗も 運動という名の旗も

ひとみなひとり
ひとりには
ひとつの命

走る雲 冴える月 こぼれる星 奏でる虫
みなひとり
ひとつの輝き

花の白さ 杉の青さ
肚の黒さ 愛の軽さ
みなひとり
ひとつの光

狂い 狂え 狂わん 狂わず
みなひとり ひとつの世界
さまざまに 果てなき世界

山ねぼけ 湖しらけ 森かげり 人は老いゆ
生きるには 旗要らず

旗振るな 旗振らすな 旗伏せよ 旗たため
限りある命のために


「支店長の曲り角」城山三郎著より

月夜の散歩



きのう月夜の雪原を一人
スノーシューで散歩した。
波打ち、固くしまった表面は
足をおろすと意外に薄く
パリッとひび割れ少し沈みこむ。

月光を浴びた無数の
小さな山脈が連なり
そこをのっしのっしと越えて行く。
どこへ向かうかは足に決めさせる。

宇宙の広さを考えてみる
自分とは何か、何が自分なのかと
考えてみる

どちらも果てしないけれど
どうもそちらへと心が動くのは
内向的な自分のクセと
このシンプルな自然の風景が
そうさせるようだ

そうして1時間以上歩いた。
真冬の楽しみ。

シンフォニック寒気楽団



  
シンフォニック寒気楽団  詞・曲 宇井ひろし

1、上空をおおう 寒気団
  聴かせておくれ 真冬の音楽を
  ウォウウォー 
  シンフォニック寒気楽団

2、僕らの上に 寒気団
  僕らは首を 上空にのばす
  ウォウウォー 
  シンフォニック寒気楽団

3、オーロラのヴァイオリン オリオンのハープ
  聴かせておくれ 真冬の音楽を
  ウォウウォー 
  シンフォニック寒気楽団
  シンフォニック寒気楽団

     
 1月11日 札幌みんたるライブにて

吹雪は去って



風でプレスされた雪は固く荒々しく波打っている。
遠くに日高山脈、ものみな穏やかな朝を迎えている。




「ほらっ お天気いいんだから外で遊びなさいッ」


ひろういの「雪はきらきらダイヤモンドらいぶ」



いなかのプレスリーは札幌に出た。
お~!久しぶりに見るビルヂングの谷間に歩くたくさんの人たち。

翌日のイベントに当農場産の人参を
ジュースにして出すという
元気な「えこふりぃ」に人参をまず配達。
そのイベントはライジングサンロックフェスなどで、
ごみのことを環境のことを考えて担当している
エゾロックという若者たちの主催によるコンサート。
農場の人参として参加できて幸せ。

さて、夜のライブの前に新曲の詞を手直しして
曲順を考えるために落ち着く喫茶店を探し回り、
「ドミンゴ」という店に入りノートを広げた。

いいなあ、シテイライフって感じ。
客は僕一人、
すてきなウエストコースト系アメリカンロックもいい音で鳴っている。
六ヶ所村のチラシも置いてあり親近感。
1時間半くらい集中して考えることができ、
いよいよ「みんたる」へ。

新得なら「ビーワイルド」
上士幌なら「あんだらや」
そして札幌なら「みんたる」
僕の大好きなお店。

共通点は貧乏自慢?いや失礼、
それぞれにお金もうけよりもっと大切で
楽しいことを知っているということと、
美味しい良心的なものを提供しているということ。

その場の存在を必要としている人たちのために
店を開けているようなものである。

なにかに悩んでいる人や
心に潤いを求めている人にとっては
安らぎ、また元気をもらえるところなのである。

マニュアルどおりの営業スマイル、
効率優先の外食産業が幅を利かす中で
その対極を行く、今では貴重なスペースなのだ。

当農場もそうだが、
どこもお金には余裕はない。

けれどもみんなシブトイのである。
多少のことは笑い飛ばすのである。
たくましきスロウなお店。

ずっとやりたかった「みんたる」での
ライブが実現できて最高に幸せ。
この日の「みんたる」ライブでは、2時間演奏した。
あと1時間はできたのだが、そこはセーブ。

そのあとの新年会、語らいは弾み
料理もおいしかった。
シェフはネパールのマキ君。
素晴らしいミュージシャンでもある。

僕らのように有機農業や土とともに生きていく生活を
したい若者も何人も来てくれてとてもうれしくなった。
希望はいつだってある。

新年が始動したばかりで
忙しい中かけつけてくれた皆さん、
そしてなんといっても店主みかよちゃん、ありがとう。 LOVE

「みんたるの夜 われらはもろともに 星となった」


地吹雪の一日



木々は揺れ続け、そのどよめきが怖いのか
犬のコジロウはすぐに引き返す。
スノーシューをはいてあちこち歩きまわる。
明日のコンサートの練習もしたかったが
それより大事なヒントが荒れ狂う雪原にあるような気がして。

風紋は縞模様となり、砂漠のよう。
どんより鉛色がかったオレンジの太陽。
あちらこちらに雪が龍のように舞い上がる。

冬のこういう厳しい表情も好きだ。
とりわけ四季のはっきりしているこの地が好きだ。
地球の地軸が傾いていることに感謝である。

雪を泳ぐ犬



一人でスノーシューをはいて向こうの山へ向かったつもりが、
気が付くとお前がついてきてた。
ふだん眺めるだけだった谷のむこうの山に行ってみた。
遠くの丘に立つ我家を新鮮な気分で見る。

また戻り小川を越えるがお前はちょっと難儀したね。
山の子のお前は川には不慣れだ。

渡り終えるとお前は今度は得意げに先を行く。
そのあとを歩くと楽だ。

が、まるで泳ぐようなので、まもなく立ち止まり、
この主人に向かって「先に行ってくれ」と目でうながした。

「わかったよ。」主人は言いながらお前を追い越した。

年の初めに

「がんばらない あきらめない」
今年はこの言葉で行こうと決めた。

自分の農業にしてもそうである。
がんばっても後で反動がくる。
体力的に、がんばれなくなってきた。

でも、あきらめなければいつかは草もとり終える。
雑草が消え綺麗なストライプとなった畑を見るのは
気持ちいい。
もちろん人の手も借りることを含めてではあるが、
あきらめないという意志さえあれば
なんとかなるものである。

音楽もそうだ。作ろうとがんばってみても
いい音楽はできない。
でも、心にとめてあきらめずにいると
ある日曲は突然出来たりする。

まあ、それもこれも「好きだから」あきらめないのだから
なにも言ったことにはなっていないけれど。

年を重ねるごとにあきらめることも増えるのだが、
これはあきらめるというより、離れるというのに近い。
よりシンプルになっていけばよし。
無理は疲れるから。

「がんばらない あきらめない」
そう思うととても楽な気持ちになる。





さよなら、ふとん眠り虫

子供たちはそれぞれに帰り
今日最後の一人が帰って行きました。
マキも割ってくれたし、新年会に行ったり
良く食べ良く飲んで充実した正月だったようです。

が・・・・。
それ以外の時間は「ふとん眠り虫」となって
ひたすら、「寝だめカンタービレ」していました。(・・・本人いわく)

さよなら、幸せな正月だったね。
仕事に戻るのは大変だろうけど
今年語り合った抱負をぜひ実現させましょう。

芳賀・宇井農場 今年もよろしくお願いします。



昨日一家そろって芳賀家にお年始に行きました。

明けましておめでとう



2008年 明けましておめでとうございます。
この1年あなたにとってどんな1年になることでしょう。
健康で実り多き1年でありますように。

我家では今日ジイが90歳の誕生日を迎えました。
宝くじ当選発表後でしたが部屋が静かだったので、
「ああ、またはずれたな」とすぐわかりましたが
朝、元気に登場。
家族みんなでクラッカーとくすだまで祝福、
ハッピバースデイ ディアおじいちゃん~♪と合唱。
プレゼントも渡され幸せいっぱいでした。

東京で建築の仕事をしている長男
羽田空港で航空整備士をしている次男
栄養士の長女
子供たちが全員そろったお正月にもったいないくらいの
幸せを感じます。
それぞれに社会の荒波にもまれながらもよくがんばっています。
この社会に適応できなかった親からよくこんなのが
育ったものだとすこし驚いています。

これからも大変だろうけどゆっくり休んでいっておくれ。
でも君たちは田舎らしい田舎があって幸せだ。
まきストーブもいいもんだろう?
ということでマキ割りもしていってくれたら父さん助かる。

元旦の朝、母と娘は見事なおせち料理を用意してくれました。
今年1年無事に元気で暮らせますようにとの願いがこもっています。



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