農場日誌

ひろういの農に生き音楽を作る日々 Since 7th June 2007

キャベツ苗植え



きのう午後からと今日の午前中でキャベツを植えました。
うね10本、1列235本、今年はそろいよく充分に苗がありました。
これからはチョウチョよけの覆いがないので卵が葉うらに
産み付けられることになります。
間もなく幼虫との闘いが始まります。


きのう午前はトウキビのウネの間の草をエンジン刈り払い機で刈って
だいぶすっきりとなった。
今日はかぼちゃの追肥に発酵ケイフンを42mに15kの割で播いた。
遅く種をまいた新内のかぼちゃが一番早く伸び雌花も咲いている。

おしらせです

9月14日~17日
第12回 shintoku空想の森映画祭が
同じ新内にあるノスタルジーあふれる廃校の小学校を
会場に行われます。
ほかではなかなか鑑賞できない映画を観ることができます。
今話題の「ウリハッキョ」 私たちの学校 はおすすめです。
映画好き集まれー!ライブもやります。

雨上がり



道ばたには巨大な「えぞにゅう」があちこちに花を咲かせている。
人参と同じセリ科で人参とよく似た白い花を咲かせる。
花の上は様々な羽虫が集うテーブルとなっている。
京都出身の同じ有機農家のMさんが、「何を撮っとるんやろか?」とこちらを見ている。
ただいまカボチャのツルを整える作業中。
そのむこうが芳賀宇井農場で地続きである。
遠くサホロ岳の山腹に白い雲がかかるのは雨の上がったしるしである。




ジャガイモの畑、中央の薄茶に見えるのは
低温霧雨が続いた影響で出た
葉カビの病気で部分的に枯れたワセシロの畑だ。
予想通りとはいえ、昨年より4日ほど早い。
白い花はマチルダでまだ病気はついていない。
長持ちすれば、それだけ収量は上がる。
どうかもってくれますように。

夕方ですべての人参の一回目の手取除草を終えた。
ゆうべはかなり強く雨が降ったが草もすごい勢いで伸びている。

草取りと空想



暑中お見舞い申し上げます。 この冬に車の窓に現れた自然のアートです。

ひき続き人参と南瓜のホー除草。
切られた草は暑さと風でしおれ、やがてひからびる。
絶好の草取り日和である。
曇ったり雨があればふたたび根をはやし復活してしまうことも多い。
その生命力たるや、よく歌やたとえに使われるほどである。
雑草のようにたくましく・・・とか。

しかし私は雑草という呼び方はあまり好きではない。
アカザ・スベリヒユ・ハコベ・アオゲイトウ・タニソバなど、立派な名前があるのだ。

それぞれのすべては種の中に、またはるかな祖先の中に内包されてきた、
私もまたしかり。
この夏にこの畑でたまたま出会い、切ったり切られたりの不思議な今。

自分も祖先の中に眠っていた存在だった。
想像の中でさかのぼってみる、祖先の祖先へと。
するときっとどこかで草の祖先と融合する瞬間があると思う。

私達の身体の成分は空にまたたく星といっしょだという。
では星はどこに内包されていたのだろうか?

ここまできたところで行きづまり、妄想タイムからふと我にかえると、
これから切る草と自分とがたいして違わないように見えてくるから不思議だ。

草取りも殺生

このところ、適度な水分と、(ほかの地域の農家には申し訳ないが)
戻ってきた暑さで、作物の成長が著しいが、
草もまた旺盛に伸びている。
最後の人参ははるみんに任せっきりであるが、
一回目の人参もまた次の草が大きくなり
手押し除草機を入れたりホー除草したり、
一方ではカボチャの草も大きくなり耕運機入れたり
ホー除草したりと、とにかく草取りに忙しい日々である。

草取りもりっぱな殺生である。
草にも心はあるのか?と考えながらスパスパと切っていく。
そして生死について考え出すと、妄想はさらに深くなる。
今日考えたのは、自分の葬式を自分が見たら楽しいだろうなと。
泣いている人もいれば、自分じゃなくてほっとしている人もいる。
はあ、愉快愉快。
そして思ったのが自分の頭の中だけでいいから
毎日自分のお葬式をするのは悪くないなと。
そのたびに新しく生まれ変わるのだ。
どの人のことばだったか忘れたが、
哲学とは死の練習をすることである、ということばが
妙にうなずけた妄想タイムであった。



今日は快晴

おととしの12月に私の在籍していたバンドが熊本に招かれコンサートを行った。
企画の中心的役割を果たしたのは、元高校の先生と教え子たち。

教え子たちは被差別部落の出身だったが、
自身はそれと知ることができるほど
直接の差別は受けて来なかった。
しかし親の生活の不安定さなどから、間接的には影響があり、
いわば荒れる子供たちだった。

先生はその理由がわかっていたので
彼らと放課後を利用し人権について学習する時間をもち、
彼らに社会にいまだにある差別の実態を教え
生まれ育った地域の歴史を教え、自覚をさせていったのだ。
また、学校の成績の悪い生徒には個別に教え、
彼らは親身になって自分達の将来を案じてくれるそんな先生に
厚い信頼をおくようになった。
その作業は双方にとってどんなに大変なことだっただろう。
よほどの信頼関係を築かなければ無理なことである。

元生徒たちは私たちのコンサートの準備のために走り回り、
とても以前荒れていたとは思えないほど
さわやかで礼儀正しく、優しい若者たちだった。

自分達のことをちゃんと理解してくれる大人がたとえ一人でもいれば
子供たちは安心感をもつことができる。
社会に対する認識も
そうでない場合と比べ大きく変わるであろう。

卒業後も彼らと親身になって今でもつきあい続ける、
そんなS先生が
(今は退職されているが私達は尊敬の念をこめてこう呼ぶ)
単独で北海道の名だたる山を登るために来ていてた。
その目的を果たし、
昨日ビーワイルドで待ち合わせをして、久しぶりの再会を果たすことができた。
ちょうど仕事が休みで顔出し看板の製作に来ていたカミさん
といっしょに迎えることができた。
深刻な病気もほとんど完治され、とてもお元気なのがうれしかった。
しばし、木漏れ日のテラスでコーヒーを飲み談笑。

温泉に行き、夕食を囲み
彼らのその後や、熊本で聞けなかったことなど
たくさん話ができた。
キャンプ場で車中泊が多かったとのことで
夕べは久しぶりに我が家でぐっすり眠れたとのこと。

百名山を一通り登ったら、次は貧乏バックパッカーで外国旅行を
するつもりらしい。
出世よりも子供たちの心に寄り添うことを
選んできたS先生は今、理屈ぬきで
自分の人生を楽しむ真っ最中である。

先ほど青空のもと、元気に出発された。


星の多い夜の日記



おととい夕方のひろういのギター教室、初授業。授業料は人参草抜き(笑)
課題曲はビーワイルドソングDGA7の3コードのアルペジオをマスターする。後継者なるか!?




芳賀家の電線にとまったハクセキレイ、私の春からの友達、自慢げに虫をくわえている。

きのうは久しぶりに夏が戻ってきた。そばの土寄せをした。はるみんは人参の草抜き、お疲れ様。
最初トラクターを準備したが、うまくいかず急遽耕運機で1列ずつになったので、けっこう大変。
ペットボトルで水を補給しながら汗だくになり服がへばりついた。
近くの川に降りて写真をとる。久々の太陽でまるで珍しいものを見るように心が躍った。

夜はいんであんのお誕生日なのでカミさんがいくつか料理を作り押しかけていっしょにお祝いをした。
芳賀宇井農場、次々に52才になっていく。残るはうちのカミさんだけ。誕生日は大好きだ。

大陸へ

                      
  大陸へ  詞・曲 ひろうい

1 雲が晴れたら 船を出そう
  白い船には 白い旗つけて
  はるかな大陸へ 静かな大陸へ

2 紫色に さざめく夕暮れ
  世界を君と 創っていこう
  はるかな大陸へ 静かな大陸へ




久々に晴れ、はるみんと二人新内の人参草抜きを一日。
家裏の人参より草が少なく早く進む。
午後から一週間前にも手伝いに来たMちゃんがまた手伝いに来てくれて
さらにはかどる。これで人参全体の75パーセント以上終了。
身体のあちこちが痛む。なおさら、若い人の助けはありがたい。

美しい詩

美しい詩はほとんど即興的に生まれるものだ。
あれこれあとで整合性を持たせようと手を加えると
とたんに詩から美しさが飛び放ちもはや詩とは呼べない駄文に
成り下がる。
矛盾をはらむからこそ詩は美しさをもつのだ。

日本国憲法の特に前文は美しい詩として読んでいる。
戦争が終わった焼け野原の上に広がる青空から降りてきた詩。
これからまっさらな気持ちで生きていこうとする気持ちがこめられている。

治安維持法により若き頃弾圧された憲法学者の鈴木安蔵の
自由を謳った草案をお手本に、
はるか昔のアメリカ先住民のイロコイ連邦の平和的共存の思想の
影響を受けているアメリカの民主主義をベースにして、
もうこんな戦争はゴメンだという願いが
空に届き霊感となって降りてきた
そんな詩だと思っている。

それに比べJ党が作ってきた新憲法草案はどうだ。
悪文である。こすずるい大人の匂いがする。
もはや詩とはよべないしろものだ。

詩とは本来人を自由にするものだ。
ところがJ案は逆に人を縛ろうとするものだ。

政治のはなしはうんざりである。
なぜなら、政治家はそのほとんどがウソをつくのが商売だからだ。
子供だってそのくらいなんとなくわかるだろう。
あの方々の話す表情を見れば・・・。

ただここで言いたいのは

法律は国民を規制するものだが、
憲法は政治家、国の暴走を規制するためのものなのだということ。
ここははっきりさせたい。
つまり政治家が自分へのタガをはずすために
動いているのが今のこの改憲さわぎなのである。

あの国をマスコミの力を使い仮想敵国として十分に仕立て上げた。
前はソ連であったが。
あの方々の頭の中では、いつでも戦争をやれる国になりたいのである。

以前消費税導入のさわぎの影でリゾート法が目立たず成立して、
あちこちに乱開発がおこり、今飛行機の窓から見下ろせばわかるように
ゴルフ場やスキー場で緑は害虫に食い荒らされたような
痛々しい景色である。
その後のバブル崩壊でうっちゃられたものもたくさんある。

それとどこか似ていると思うのだが
今は国民もあおられて年金のほうにばかり目がいっている。
年金をもらえるまで生きられるかどうかは
だれにもわからないのに
平均寿命というものが頭にあるからなのだろう。
自分の老後のほうが戦争のことより関心があるのだろう。
生まれてまもなく死ぬ命もあれば100歳を越えて死ぬ命もある上での
平均寿命なのだ。
年金がもらえるまで生きていられる保障などどこにもないのである。
そんなことよりこれから生きていく若者や
子どもたちの未来によい道筋を示すのが大人というもの。

いずれまもなく死んでいく大人ではあるが、
まがりなりにも今の憲法で平和の良さを
たまたま運よく味わってきた。
そのことに感謝している。
この美しい詩が国の暴走をおさえてくれていたことに深く感謝する。

自分たちだけその恩恵を受けながら
子供たちにまた戦争の痛みを味わわせるのは
あんまりだと思うのだ。

とりあえず今度の参議院選挙の投票には這ってでも行こう。
この国に生まれ育ちながら国籍が日本ではないからというだけで
選挙権すら与えられていない人たちのためにも。

そしてもう一度、詩のもつ美しさと力を考えよう。

ターシャ・ひ孫チューダーの庭園



ターシャ・ひ孫チューダーの庭園で、プラウが花に包囲された!!(笑)

新内の人参畑で草抜きに集中していると、芳賀家のNちゃんが突然あらわれ、
暖かいコーヒーを持ってきてくれた。
Nちゃんはうちの双子と同い年で小さい頃から三つ子のように遊んできた。
むかし、同じ畑で同じように仕事をしていると、
ちっちゃなNちゃんがよくやってきては、
小さな手に握りしめたアメを、まだたどたどしい言葉で「はい、アメあげる」とくれた。
お話をしては、「なんで?」「なんで?」と質問攻めにあっていたっけ。
ものごとを懸命に理解しようとする、自然で強い力を感じた。

20年近くたった今でも変わらず明るく元気すぎるくらいの子だ。
都会から帰り今は田舎の良さを見出し生活を楽しんでいる。

お母さんであるはるみんも花を育てるのが好きで、どんな時でも
庭に愛らしいさまざまな花を咲かせてきたが
Nちゃんもまた花の魅力にとりつかれ、
裏の草ボウボウを自分で開墾し
いろんな花を育て始めていた。

ある日、久しぶりに農機具庫に行ったら
そばにNちゃんズ・ガーデンがいきなり出来ていて驚いた。

とりあえずと外して置いたトラクターのプラウが、
まわりをホオズキやらインパチェンスやらツルバラに
包囲されているではないか!!!
天空の城ラピュタにあるような静かな美しい風景である。

プラウは来春の畑起こしまで使わないので支障はない。
しかし、やってくれるな~(笑)
こういう柔らかい発想のセンスが好きである。
ガーデンをいじるNちゃんを 「ターシャ・ひ孫チューダー」と呼ぶことにした。

さて、上空には冷たいオホーツク高気圧が君臨して、
また霧雨がふったりやんだりのお天気が続く。
ジャガイモのワセシロの病気もまだ1割とまではいかないが、
じわりと進行中だ。

今日は人参の草をとりながら、今気になっている憲法のことを
この日記に書こうと考えていたが、
Nちゃんがコーヒーを運んでくれたことから、また後にすることにした。
まあ、ゆっくりやっていこう。
大切なことは、花のようにゆっくりと開かせて行けばいい。

谷間に響いた発砲音



正面の木々のむこうがヒグマ親子のいる谷間。
少なくてもこれを撮った時にはいた。

さいごの一本の追い込みにかかっていた時、
背後の谷間から銃声が!.......
一分間くらいの間をおいて合計四発。

草を抜きながらキムンカムイ(ヒグマ)のことを考えていた。
しかし、突然のその四発が親子のクマの射殺をいやでも想像させ、悲しくなった。
ただのセンチメンタリズムではない。
ヒグマをキムンカムイ(山の神)と呼び共存してきたアイヌの人達の世界観と、
なんの精神性もなく害獣駆除の名目で簡単に殺してしまえる世界観との
隔たりが悲しいのだ。
豊かな精神性をもったアイヌの人々の暮らしを奪い、
無理やり同化させてきた日本人。
今自分が暮らす北海道はその上に立っていることを忘れないようにしたい。

霧雨の中、谷は静まり返っている。
最後の列を取り終えた。

パトカーが来た

家のそばの人参畑でカミさんと二人、草を抜いていると、
パトカーが入ってきた。うちに不似合いなピカピカの白と黒と赤。
なんにも悪いことはしてないが、「逮捕されるかも知れないからあとはよろしく。」
と言い残し哲学の小径をぬけて小走り。

おまわりさんの顔は少々こわばっている。
うちの東側はすぐ緑生い茂る大きな谷なのだが、
親子グマがこの谷に来ているので注意して下さいと。
親子グマは危険なので家にいてください。
ハンターが2名入っていて散弾銃を持ってるので
当たらないように気をつけてくださいとのこと。
僕はわくわくしてきたので、つい顔に出ていたのだろう、
念をおして去っていった。

ありがとう。でも知ったことか。
運悪く散弾銃で死んだらうんと賠償金もらって
家族に楽をさせてやる。

親子グマの無事を祈る。アイヌの人達はキムンカムイ(山の神)と
ヒグマを呼んできた。高位のカムイ(神)として敬い
共存してきたのだ。
何も危害を加えたわけではない、ただ歩いたというだけで射殺されるのは
ワリに合わない。

僕らはかまわず人参の草を抜く。
出てきたら写真くらい撮らせていただくとして用意しつつ、
さらに、うちでかくまってあげたい気持ちだ。

うまく逃げてほしい。ハンターの自慢話など聞きたくはない。

とはいえ昔、夕食にカレーの用意をしていた時に
友達のハンターが、「おう、クマ獲ったぞ!」とクマの肉を置いていった。
急きょ豚肉のかわりにクマ肉を入れる。
クマカレーは初めてだ。家族みんなで頂く。
年のクマなので少々すじばっていたが、味は鯨肉のよう。
突然、自分の口の中で何かがガリッと歯にあたった。
とりだしてみると、なんと、めくれあがったライフルの弾!!

ワイルドな地帯である。
発砲音が聴こえませんように。
クマの親子の無事を祈っている。

人生だって想定外



今日のコジロウ。何枚か撮ったが飼い主に似たのか馬鹿っぽい顔が多いが
その中でも一番ましなのを選んだ。




今日は久しぶりに気持ちよい青空が広がった。ジャガイモ畑では
ワセシロよりやや赤みがかったハナシベツの花が満開だ。
ワセシロの葉に葉カビの病気がごくわずかだがついているのを発見。
低温霧雨の日が長く続いたため、予想通りだ。
去年とほぼ同じだが生育が良かったので去年よりは
確実に多くとれるだろう。

普通栽培では何回も殺菌剤をスプレーするので葉はいつまでも青い。
最終的に収穫期にまだ葉があり機械のじゃまになるので除草剤のようなもので枯らすことになる。

当農場ではこれから自然に枯れあがっていくので8月いっぱいで茎だけになるだろう。
たまにこれからうんと暑い日が続けば病気の進行が緩慢になることもあるが、
滅多にないことだ。
ワセシロは枯れるまでに大きくなれるイモなのでずっと
作り続けてきた。
新じゃがが楽しみだ。




白菜の種をまいた。27年目になる播種機。
このあとキツネにいたずらされたキャベツの苗床の補修。
そして人参のホー除草完了。
はるみんは午前中新内人参草抜き

テレビでは地震関連のニュースをやっているが
なんせ星と星がぶつかってできたというこの地球、何がおきても
不思議ではない。想定外ということばがよく使われているが
たとえば原発を推し進めてきた方々は
よく想定内ということばを使ってきた。
だから安全であると。
でも、今回のことでも如実に現れているように
人間のする想定は自然からみたら甘っちょろいと思う。
いくつかの技術を飛躍的に進歩させた人間は自分が万能で
あるかのような錯覚をしているからこそ意外な顔をするのだろう。

そのように人生もまた自然なので
いつ自分の身に想定外のことが起きても不思議ではないと思う。
だから、今、自分が生きていることはそれだけで
奇跡なのだと思う。
その不思議にこそめざめていたいと
草をとりながら思ったのだった。

香る八方美人



おおうばゆりの花 人間の場合、八方美人は嫌われる対象となるが、
このラッパを四方八方に吹き鳴らしているかのような花は別だ。
短命な花ゆえか、甘い香りは静かに流れ森や野に安らぎを与え、しばし時を止める。




 うらの人参畑へと抜ける近道。
「哲学の小径」と呼んでいるがわずか20mほどなので
実際は何も考えてはいない。おおうばゆりが咲き出した。


はるみんは一日、人参の草抜き。
僕は白菜を播く準備、トラクターで10アール(うね13本)675kgの発酵鶏糞を入れロータリーハロー。
そのあと人参ホー除草。
ほんのたまにだけ青空がのぞく。ジャガイモの葉に病気がつくのを
少しでも遅らせるためにもカーッと暑くなってほしい。

種屋のふくろ



帯広のいつも種を買っている十勝豊産園の紙袋。古き良き帯広の名残あるお店でいつもほっとします。
きのう白菜種購入しました。聖徳50ml


学生時代にオーストラリアや日本でウーフの経験のある、
自分の子供くらいの年齢の女性が
一日人参の草抜きを手伝いうために来てくれた。
ビーワイルドでのコンサートにも聴きに来てくれた人で農業関連の会社で働いていて
休日を利用してわざわざ来てくれたのだ。草をとりながらいろんな話をたくさんした。
それも本質の話について深く語り合えた。我が家にとっても一日ウーファーが来た感じで
とても充実した一日だった。

ウェディング・ソング



木からぶらさがった青虫くん キャベツにつく種類とは別でどんなお母さんかは不明。おどかすとすごい腹筋で糸をのぼっていく。

今日は地域の若者の結婚式が帯広であり、お祝いの歌を2曲歌ってきた。
うちの子たちといっしょにこの地域で育ってきた子なので
ほほえましく、また時の流れを感じもした。

新婦さんは本州出身だが、この地域にあるレディスファームスクールに1年いる間に
すっかりこの地域が気に入ってしまったようだ。
彼女たちは農業に何か仕事としての魅力を感じて全国から集まり
スクールの2階の宿舎から地域の農家に通う。
酪農家がほとんどであるが、この地域の大人たちは
大らかで仲が良く、助け合って生きているからか、
子どもたちも親の跡を自然に継ぐようになっている。
それだけの魅力のあるふるさとなのだ。
そうして二人は出会った。
明るくさわやかなカップルで見ているだけで
幸せな気分になる。

新郎くんはドラムが上手で、地元で僕のや、僕と誰かとのコンサートの時は
いつもパーカッションを入れてもらう。
近く彼といっしょにバンドを組み、さらにこの地域を楽しくしようと目論み中だ。




マチルダ(じゃがいも)の白い花がだいぶ咲いてきた。
低温と雨っぽいので病気がでないか気がかりだ。早く太陽が照ってほしいところだ。

結婚式から帰り、また暗くなって見えなくなるまで人参のホー除草をした。
はるみんは留守中家の裏の人参の草を一人でとってくれていた。

このところ夕方は寒く霧雨というパターンが続き、草だけはどんどん大きくなってきている。
あしたは草取りの手伝いに遠くからわざわざ来てくれる方がいる。
とてもありがたい。

ヒメジョオン静かに美しく咲いて



ソバ畑のわきのヒメジョオン

ソバの畑に耕運機の除草機を入れる。となりで有機農業を営むMさんが去年中古で購入したもの。
ポンポン船のような懐かしい音をたてる。エンジンをとめるとポンッ!と一発鳴って心臓がドキッとする。
2回走って3時間近くかかり遅い昼食。

まもなく十勝有機ネットという私も参加する有機農家の集まりの畑見学があり
10数名が当地を訪れ説明しながら畑を歩く。
間違ってはいないと思うこの方向へ進もうとしている農家が
アメリカ型の食糧生産基地といわれるこの十勝で
すこしずつでも増えていることがうれしい。

明日は地域の音楽仲間でもある酪農家の若者の結婚式だ。
お祝いにウェディング・ソングとつるばらを歌うことになっていて楽しみだ。
この地域の若者が結婚する時はほとんど歌わせてもらっている。
みんな子供の頃から知っているので心からお祝いしたい気持ちだ。

それもあり、また天気が崩れそうなので
今日のうちにと思い、暗くなるまで
カボチャと人参のホー除草をした。

南京玉すだれ



今日も寒い一日だった。このお天気でカゼ気味のお友達もでてきている。
人参畑に入ろうとすると昨日の雨で長靴がズブッともぐるのでこれはイカンと
カボチャのホー除草に行くことに。

着いてみると、怪獣シカゴンがわれらの「貧乏人の鹿よけフェンス」を破って入ったあとが・・・。
深い足跡が残されていたが、さいわいカボチャには被害なし。
霧雨の中、無事にマルチ肩の部分のホー除草を全部終えることができた。
ちなみに、ホーとは長い柄の先に三角形の鉄製で一辺が刃になっているものがついていて、草を削っていく農具です。アメリカから渡ったと思われます。

さて、話は変わりきのうの夜、友達が年金とかけて○○ととく、その心は?の課題を出されているとのことなので捨ておけず、次を送った。

年金とかけて、大道芸ととく  その心は?
♪あ、さて、さて、さてさてさてさて、さては年金ダマスだれ?(・・・・南京玉すだれより)

なぜ睡眠はあるのか



今日は朝から雨が抑揚もなく降り続いている。 こんな日は骨休めの日としよう。
昼間から4時間も熟睡した。 眠りはこのうえない快楽だ。
眠れないつらさも経験しているので、無為に過ごす睡眠というものがありがたい。

なぜ睡眠があるのか不思議だ。
無意識という大きな母のもとに包まれて、いくばくかの疲れを吸い取ってもらい、
霊感のようなものをもらってきているのだろうか?
自分はそれに気が付かないだけなのかもしれない。

写真はきのう人参除草に疲れ休むとコジロウもそばにゴロン。

人参除草 だいぶ進んだ



今日僕はトラクターのロータリー作業で
あちこちの畑をまわっていたので、
かなりの時間をはるみんが一人で人参畑の草をとってくれた。
足腰が痛くなる仕事だが、だいぶ進んだ。
林のむこうは大きな谷間でさまざまな鳥の声がエコーしている。

夕方になるとまた急に寒くなってきた。





過保護な母親に喝っ!

うちではウーフのホストファミリーとして2年前から
様々な国から若者のファームステイを受け入れている。
日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、台湾、マレーシア、
イギリス、フランスから本当にステキな若者たちが
来て、もとの子供の部屋を使ってもらい
家族のように生活をともにしてきた。
こちらの発信しているメッセージはアンテナとなり
波長で彼ら彼女らは数あるホストの中からうちを選んでくる。
だからいっしょに暮らすストレスはなく、むしろ同じ価値観を共有し
ちがう文化のことを教えてもらえる。
彼らはまた自立心があってそれが心地いい。

最近、アメリカ人で母親が日本人のウーファーから、
本人ではなくその日本人の母親から受入れが可能か
問い合わせがあった。
受入れの余地があったのでオーケーして、
今度は息子さんから英語で大丈夫なので改めて連絡
をもらうことになった。
待っていたらその母親から、
たくさんの素晴らしいホストが日本にはあるのですね、
息子は長崎の塩つくりに行くようです、
ご健闘お祈りします、とメールが入った。

だんだん腹が立ってきた。
以下のメールを送った。

メールをもらいましたが、その内容があまりに失礼だとは
思いませんか?
どうして断りのメールさえ本人がしてこないのか理解に
苦しみます。
(中略)

今まで母親が最初から最後まで子供に代わって
連絡を行ってきたのは初めてです。

本人からしかるべき連絡をさせるのが教育では
ありませんか?
お二人でよくお考えになってみてください。
そして○○君自身の声をきかせてください。

それに対して母親からもっともです、と短い謝罪のメールが入った。
僕は息子さんの謝罪をもとめます、と返した。

そしてしばらくして日本語で短い息子からの謝りのメールがきた。
僕のいった意味がわかっているか疑問な、あまり誠意の感じられない文。
僕は英語で、ホストへの連絡は自分自身ですべきだと返した。

あの母親にしてこの子ありだ。この子がかわいそうになる。
しかも日本より自立心が育ちやすいアメリカである。

改めて子供への愛情とは何か考えさせられた。

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